真脇の月ー弓張月コンサート(真脇縄文遺跡)ー、「あだとなる弓矢も今は引き替えて、西へ入るさの山の端の月」8月19日

【建長4年・1252・8月19日「明法坊の往生」御消息集、聖典p560】
文明12年(1480)、境にいた招月庵正広の元へ
能登国守護畠山義統(よしむね)から、「瀬良志と云う所に、木像の人麻呂あり、そのほか浦々をも見侍るよしあるに、…」との便りが届いた。
あなたの名・招月にふさわしい、浦々の月がすばらしい能登へおいでませんか…、との便りである。
8月20日、府中に着いた正広は、連歌の座を指導し、
舟をこぎ出して、7日の月、重陽、十三夜月などを愛でた。
小島では、観音菩薩補陀落浄土とまで詠んでいる。
能登国三十三観音巡礼ご詠歌でも、
月、または月影が七カ所に詠われている。
おそらく、これらの月の名所に匹敵する、あるいはそれ以上の月真脇の月(弓張月コンサート案内)に親しめそうだ(8日・土曜・19:00~)。
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会場:縄文木柱列
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2009年11月23日の材料・栗
【9日追記】
月齢を調べたら21日だった。
月の元で、波の音を聞き、そこに歌声があってもいいと、贅沢なイメージでいたので、まず月が出ていない時間なので、パス。
校正見直しもあったし…

月と真宗

文明12年といえば、蓮如上人65歳。
山科本願寺落慶した年だ。
そしてまもなく、山科で報恩講が営まれる。
蓮如上人御一代記聞書」6、『真宗聖典』(東本願寺版)p855
「月影のいたらぬ里はなけれども、眺むる人のこころにぞ住む」(法然上人)
を引用しながら、「一一光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」のこころを説法なさった話しや、
同じ観経の「月愛三昧」、月の兎にいたるまで、仏法と月のたとえ、歌はそれこそ多い。

そのような想いを抱きながら、是非この8日(土)の真脇縄文遺跡「弓張り月コンサート」に行ってきたいものだ。
弓張り月といえば、
山伏弁円が、親鸞聖人を襲おうとして、人柄に触れ、お弟子となった翌年、
帰りの遅い聖人を案じて、迎えに行ったときに弓張月を見て詠んだ歌
「あだとなる弓矢も今は引き替えて、西へ入るさ(際)の山の端の月」や、
「くらきより暗き道にぞ入りぬべき、遙かに照らせ西の端の月」(和泉式部
などの、深い伝承歌がある。