坊守会:穴水鵜川組ー随照寺さんー3月11日

金沢金石・大野から穴水町下唐古(からこ)の随照寺さんへ向車を走らせていると、
時々車が浮くような感覚があった。
途中で、天候が急変。突風が吹いていたのだった。
唐古付近はまだ田に雪が残っており、
ドンコを着た少年少女たちが、ふきのとうを見つけては
キャッキャ騒いでいてもよさそうな、懐かしい、
子供の頃を思い出させる風景が続いている。
会所の前で車を止め、その光景を何枚か写した。
随照寺さんは庄屋屋敷を道場にしたお寺で、きわめて古く珍しい、
真宗寺院史研究には欠かせないお寺である。
国立歴史民俗博物館にその模型が展示されており(現在も展示されているかどうかは、確かめていない)、
外観は変わったものの、小屋組は昔のままで、大きな材木が用いられている。
その構造、板戸、土間などを写した。
14時46分、1分間のサイレンが鳴り響き、黙祷。
講義のさなかに雪になった。


いいわけになるが、
久しぶりの坊守会、
百周年を担っていた友の逝去、
珠洲能登に誇りを持っている人間(私)に、珠洲の人は大変ですね、と、思い上がった話をする人間と前の晩に会ったことなど、
色々交錯して、しっかりした話にはならなかった。
大体が、
「叱られて泣く義母の居て、叱りつつ泣く妻の居る老々介護」
を現代の問題の一資料として取り上げようと思っていたのに、
黙祷のすぐあとでは、
相手がいるだけでいいですね…
にしかならない。


ここにも見られるように、
このところの相対的な基準のとらえどころが見いだせない
というか、知識、知ることと「信」、
現実の生活の中で…、物知りにとどめるのではなく、
教人信…、フンニャラモヤモヤ、をどうしたらいいか、
迷うだけの時を過ごした。


そして、
雪の中を、こういう吹雪にまた会えた、高揚した気分で
帰った。


コンパクトフラッシュに不具合があり、写真が全部パーになった。
ものすごい喪失感。


そこで3・11。


一方、
黙祷のさなかに、
仕事で
(たとえ、泣きながらであっても)
カメラを回している人がいて、
流れくる映像のある、
不思議さ。