地産地消文化情報誌『能登』2012冬号、地方文化、短歌、「苦い記憶」(「「やまびこ」)

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地産地消文化情報誌『能登
2012冬号。特集、ワイン、牡蠣(かき)など。
いつも、能登の大きさ・深みを感じる。
今回「伝説の風景は」には「俊寛と虫ケ峰」を書かせていただいた。

民俗

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『地域社会・地方文化再編の実態』(成城大学民俗学研究所グローカル研究センター)
松崎憲三氏より。
6編の論。
松崎さんは、奪衣婆信仰の諸相を追求しておられ、ここでは下越の事例中心に
民間信仰をとおしてみた地域・地方の再生運動」と題して展開。

短歌

1月24日(火)「富来郷土史研究会」にお話に行った折、
早く着ついたので、講義室で予習しようと向かったのだが、鍵がかかっていたので(あとで、いつも閉まっているところを開けようとしていたのに気づいた)
近くの大型店舗内の本屋さんで時間を過ごした。
その時買ったのが
五木寛之氏の『悲しみの効用』(祥伝社)と、
『たとへば君ー四十年の恋歌ー』河野裕子永田和宏氏。
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短歌は、坊守会なのでもよく引用する。けれど、現代の個人的歌集は滅多に買わない。
ただ、朝日歌壇の永田氏の選ぶ短歌は共感させていただくことが多く、
河野裕子さんの「たとへば君…」も『現代の短歌』だったかで、読んで印象に残っていた。
この本が出たとき、ご夫婦だったことを知った。
購入しようかどうか迷ったのだが、朝日の追悼文(2010年8月20日道浦母都子氏)で用いられていた河野氏の写真が、
「たとへば君…」の印象とかけはなれていたこともあり、買わないでいたのだが、
入るはずがない富来の本コーナーで出会うことにことになったのも縁。
写真・帯も素敵で、購入した。


そのあとで、そういえば、個人歌集を買っていたことを思い出した。
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『定本 中城ふみ子歌集 乳房喪失ー附 花の原型』(昭和51年 角川書店)である。
序文を川端康成氏が書いている。
装丁が、当時人気画家だった林静一氏である。
定本にはどこにも作者名の読み仮名が無く、その頃、知った羽咋高校郷土史クラブ顧問・中条(ちゅうじょう)茂雄先生から、
今まで「ちゅうじょう」ふみ子さんだとばかり思っていた。


『たとへば君』をきっかけに、パラパラと他の歌集も開いてみた。
『現代の短歌』(講談社学術文庫・高野公彦氏編)に
中城(なかじょう)ふみ子、とあることに気づいた。
「なかじょう」さん…だったのだ。
35年目の、おほおどろき。
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『現代の短歌』


中城ふみ子さんは、東京家政大。
同世代の河野さんは京女。道浦母都子氏は早稲田。
そういえば、ばかりになるが
そういえば、『現代の短歌』で道浦氏の歌を見たとき、すごい衝撃を受けたのだった。
衝撃の歌が載る歌集が『無援の叙情』という題の本だということも、
今、あらためて知った。
前に見たときも本の題名くらいは、目にとまったと思うのだが、
今になって「無援の叙情」が、スーッと入りこんできたのは、
このところの哀悼欄にある。


1月21日村田栄一氏(76)
1月31日岩田弘氏(82)
の名を全国紙で見た。


岩田氏の『世界資本主義論』は「これ読めよ」、
村田氏の『無援の前線』は「西山、これいいぞ」、と勧めてくれた友がいた。
その友は、年も出会った場所も違うのだけれど、その時の、友の表情がありありと浮かんでくる。
読む読まないは別として、彼らがいいというのなら…
と買った。
赤い表紙の『世界資本主義論』、銀色をベースとした『無援の前線』。
その表紙も眼に浮かぶ。


村田氏の死亡を知ったとき、著書は…何だったかな?
そうだ『無援の前線』だった、と気づいた頃に、『無援の叙情』があった。


道浦氏の関係では、
『きけわだつみのこえ』に載る
「音もなく 我より去りしものなれど 書きて偲びぬ 明日という字を」との関係が知られているという。
この歌だけを見て、学徒の軍隊入り、あるいは、特攻を想像した。
ところが、調べて見ると、
私の想像を越えた時の詠だった。


「音もなく …」の歌を通して、一文字一文字の計り知れない重さを説いてくれた、道浦氏の歌集・著書が気になる。
『女うた男うた』(道浦母都子氏+坪内稔典氏。平凡社ライブラリー)があった。
『無援の叙情』(岩波現代文庫)を買うべきかどうか…、
と著作を調べていると、岩波新書に『女歌の百年』があった。
岩波新書でちょっと気になるものはたいてい買っている。
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本箱を見ていくと、あった。
あるだけなら、なんでもある。


短歌に関しては、国語の教師だったから、授業で随分扱った。
歌人では、啄木にもっとも時間を費やした。
『サラダ記念日』(俵万智)が出たのが1987年。それから4年後に教員を辞めているのだが、
その頃には、三省堂あたりの教科書に俵氏のサラーっとした短歌が載っていたかも知れない。
だから、ここに挙げた方々を知るのは、ずっーとあとになってからのことである。


昭和53年(1978)頃、
宇出津(うしつ)高校に40分ほどかけて、汽車通勤をしたことがあった。
その時、向かいに座ることに決めておられた英語の先生が、
朝日歌壇が載る日には、新聞を持ち込んでこられ、
宇出津駅に着くまで、味わっておられた。


そのうち私は車で通勤するようになり、
車窓の風景に、歌の味い人がとけ込むんでいる日々と別れた。


この方が歌作をしておいでたのかどうかは知らないが、
本物の詩人なのだ、とずっと思っていた。
2月3日。
石川高教組退職者協議会通信

「やまびこ」No21

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が届いた。
そこに、かの先生の「苦い記憶」という文章が載っていた。
前に読んだ追悼文にも感銘を受けたが、
このエッセイというか作品がすごかった。
次郎物語」「しろばんば」それに推理小説のエッセンスが混じり合っているようで、
そういえば私も…と、文に引き込まれながら、遠い記憶の余韻に浸っている。



退職者しか見ることのない印刷物なのが、もったいない。
誰かに知らせたい、のだが、
では、誰に…、となると、難しい。


汽車通勤時代を思い出しながら、
この感動は、その方を知っているためなのか、
それとも誰が読んでもすごいのだろうか?
知りたい…。


ようやく、その方面に強い知人が2人思い浮かんだので、送った。
感動しているだろうか。
【8日追記】
一人から、すごく面白かった、と電話が入った。