真宗の本と、いくつかの想い出。「鎮魂」から「おくやみ」へ
「慈・悲」について考えていた頃でもあり、
この写真のキャプションを
御仏(あなた)が
あらゆる慈しみとなって
私に寄り添って
いてくださる
と付けた。
『新ありがたい深い話』
かつて北國新聞夕刊「野辺の送り」に連載された文をまとめた第3弾。
『ありがたい深い話』
「野辺の送り」
「野辺の送り」コーナーに関しては、ちょっとした想い出がある。
1999年から始まった連載なので、たぶんその前の年になるのだろうが、
富山新聞の企画が好評なので、北國新聞でも…との相談を受けた。
そこで、見本文を2本書いた。
その時、できれば…と、ある条件を出した。
野辺送り的なエッセイと深く関わる朝刊の死亡欄。
そのタイトルが、たしか「ご冥福をお祈りします」だったのだ。
夕刊は「鎮魂」だったと思う。
真宗王国といわれる地の新聞の死亡欄が
「ご冥福」や「鎮魂」では具合が悪い。
どうして教区のような公の立場から申し入れをしないのか、
言ってみたけど駄目だったのか…
などと、ずーっと疑問に思っていたのを
担当記者さんに話した。
すぐ変更されたのである。
その時、私も代わりの案を出したはずだが、それは、他の新聞が使っていたそうで、
それで、この「おくやみ」になったのだったろうか?
10年以上経つので、なんどかの変遷があって「おくやみ」になったのか、そのあたりははっきりしない。
ともあれ、「野辺の送り」を1999年に4本、
2000年に1、2002年に1の6回書いている。
連載は2005年まで続いたそうだから、初期に関わっていただけだったのだ。
その頃のことを知りそうにもない若い編集者から
そのうちの1作品を選び、
それとは無関係に写真キャプションを1つ、との依頼を受けた。
それが、上の写真キャプションである。
『新ありがたい深い話』富山県版
「真宗のすくい」「悪人正機」「愚者になりて」
いずれも宮城顗師述。
『愚禿鈔講義録』9。
宗正元師述
『大系真宗史料』蓮如法語。
上場顕雄氏解説・監修。
『仏の発見』五木寛之氏・梅原猛氏。
面白かった。
五木寛之氏の講演
を、能登教務所で聞いたことがある。
それは、能登教区蓮如上人500回御遠忌お待ち受け大会(1996年・平成8年4月7日)の時のことで、
当時、私は能登教区教区会副議長をしており、
また、五木氏には、かつて『蓮如さんー門徒が語る蓮如伝承集成ー』をお送りしていたこともあって、
ご挨拶しようと思えば、出来るところにいたはずだった。
が、職員の方などの多くの五木ファンが、
本にサインしてもらおうなどと、待ちかまえていて、
周辺から、
その様子を眺めるだけにした。
講演・講義の前は、できるだけ講義に向けて気持ちを集中させなければならない。
講師を退屈させてはならないと思われるのか、時々ペラペラ世間話をするのが世話係だと勘違いされている場に出会うことがあるが、
係は、せいぜい、聴衆はどういう方々なのかを知らせる程度にしておかねばならない。
五木氏にとって、
講演前の時の過ごし方が大変だろうな…と
それとなく同情申していたのだが、
慣れておいでる、というのか
見事な時の過ごし方をなさった。