藤井ー諏訪付近ー鎌打神事、五輪の風景

中能登町藤井の「諏訪祭り」は、町史に触れていない。
気になるので7月14日、あらためて付近を歩いた。
諏訪神社の元地はもっと奥で、住吉神社に合祀された明治40年以降になるのだろうが、住吉神社地のタブが鎌打ちの神木になっている。
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諏訪神社鎌打ち神事由来
祭神 建御名方命〈たけみなかたのみこと〉(大国主命御子神
神代の時代、大国主命少彦名命〈すくなひこなのみこと〉と共に、邑知潟〈おうちがた〉周辺を平定された時、建御名方命が、弥柄鎌〈やえがま〉の利鎌〈とがま〉を持って。生い茂る葦原〈あしはら〉を薙〈な〉ぎ倒し刈り分けて、害虫・害鳥悉〈ことごと〉く退治され、二神を先導〈せんどう〉し給いて、そこを拓〈ひら〉く神功を立てられた。其の時の鎌が左鎌であったと言う。それから歳〈とし〉を経〈へ〉て大変な凶作になった時、古事に従い、タブの木を神木として祭り、左鎌を打ち込んでお祈りをしたのがこの祭りの始まりと言われている。
この祭りは石川県の無形民俗文化財に指定されており、祭礼日は毎年八月二十七日(昔は七月二十七日)と定められ、お諏訪様〈すわさま〉祭り、鎌祭り、あるいは風鎮〈ふうちん〉祭と呼ばれて親しまれてきた。

祭典次第
毎年二丁の左鎌(雄鎌〈おがま〉・雌鎌〈めがま〉)を注文して造り、祭壇に利鎌と金鎚〈かなづち〉種々〈くさぐさ〉の山の幸〈さち〉・海の幸〈さち〉を供〈そな〉え祭典が執行〈しっこう〉される。その後社殿右側に茂る椨〈たぶ〉の木に(推定樹齢〈すいていじゅれい〉三百年以上)に一丁目は神職、二丁目は区長によって打ち込まれる。続いて参詣〈さんけい〉している区民が一打ちずつ心を篭〈こ〉めて打ち込み、二百十日の無事と五穀豊穣〈ごこくほうじょう〉・家族の無病息災〈むびょうそくさい〉を願うのである。いつの頃からかその夜は盆踊りをしてゆく夏を惜しみつつ
二十七日 お諏訪さまの祭り
雨が降らねば 風が吹く
と唄〈うた〉われるようになった。この祭りはあの苦しかった世界大戦中も途切〈とぎ〉れることなく藤井の里の人々によって守り継がれ現在に至っているのである。
平成十一年八月吉日記 鹿島町藤井区

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鎌が打ち込まれた神木タブの木


同様の行事は、七尾市江泊〈えのとまり〉日室、中能登町金丸の諏訪神社で同日営まれる。
論文に「能登半島における諏訪信仰ー鎌打ち神事を中心としてー」小倉学『加能民俗研究22』平成3年がある〈小倉学著作集第1巻『神社と祭り』再録〉。


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おそらく中世的な板地、五輪、宝篋印塔が豊かにある地だと予測していたが
思った通り、かなり存在している。