石休場町・安町・上野山・照福寺

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河原田川から西脇・北谷・市ノ瀬方面。
右土手に国鉄→JR→のと鉄道の線路があった。
かつてはススキの茂っているところも水が流れており、このあたりには、いくつかの想い出がある。
まず、泳いだこと。
昭和34年(1959)奥能登豪雨のあとだと思うのだが、水の引いた河原に膨大な珪化木の化石がゴロゴロ転がっていて、梅本のトシちゃん(その後の梅本利彦氏、と聞いている)らに連れられて見に行ったこと。
それから随分年月がたって、堰堤のよどみにメダカがたくさんいたのを見たこと、などがある。
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奥は神田山山系、再奥の高峰が鉢伏山
手前の山が上野山。
中腹に照福寺、山の名を家名にする上野家がある。
やや低い左側に中江家、照福寺と上野家の間に梅本家があった。
また左手の上野山の麓には、須恵器の破片が見つかっている。

石休場の想い出、照福寺の歴史

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(PDF)『蓮如と真宗行事』平成2年版・あとがき
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(PDF)四門と虎墓「奥能登に見る真宗以前」北國新聞1981(昭和56)年5月21日(木)朝刊文化。
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(PDF)照福寺と輪島塗「輪島塗ー江戸期から全国ブランド」北國新聞1989(平成元)1月26日(木)

盤持ち石・田植え
山門
中能登巡りの前に
深まる秋①
深まる秋②