石休場・安町のコヤマ・中江家ー輪島市ー

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市指定だった頃の中江家。昭和40年代の写真。
私にとってこの家はコヤマ家で、正式名が中江家であることは随分後から知った。
小さい頃、遊んでくれた3人兄妹は、コヤマのあんちゃん、コヤマのおっちゃんたちだった。
中江家は、天文11年頃(1542)は越前にあり、宝暦元年(17651)当地に移住、当地での第1代は宝暦4年に亡くなっているとのことだが、次の『石川県の民家』記載に拠るもので、「文書」は見ていない。
なお。平地内に肝煎だった伊藤家があり、古くは中江川仁右衛門と称していたという。
河原田川支流の神田(ジンダ)川下流を中江川と呼んでいるようで、中江家はそこを見下ろす、小山一帯を占めている。
その小山より一段高い丘陵ーおそらく大山と意識されていた小山と接する先端部に寺域を構えるのが上野山照福寺(古くは正福寺)で、大永元年(1521)、越前の侍・岩松清忠によって創建と伝えている。
解説:中江家(『石川県の民家ー民家緊急調査報告書ー』1973(昭和48)年刊より)
写真:『石川県の民家』の中江家
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解説:『輪島市史』の中江家、写真『輪島市史』


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母屋跡から納戸方面(2007・平成19年4月)。
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中江家の屋敷神(地神)(2009・平成21年2月)
母屋の左手丘上にある。稻荷神を祀っている。
その先の方、河原田川近くまで舌状丘陵が延びる上野山は、早くからバスが通れるように切り開かれていたが、丘上の田畑に水が届くように、樋が渡してあった。
曖昧な記憶だが、竹の樋からしっかりした木枠の樋に代わり、そのあとは水道管?が…。
今は道幅も広くなり、何も通っていないはずだが…。