能登文化財保護連絡協議会志賀大会(発足50周年大会)

5日~6日にかけてタイトルの会があり、行ってきた。
この会は能登地区各市町村の文化財保護審議委員会が連絡協議をする会で、昭和35年(1960)7月17日に発足し、
昭和37年に会誌『能登文化財 第1輯』を出している。
市町村回り持ちで年会を持ち、それに間に合うように会誌が発行され、今年は第44輯が発刊された。
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能登文化財 第44輯』表紙写真:富来町居松尾神社拝殿
44輯で見ると、現在は9市町村83名(重なっている人もそれぞれとして数えた)の委員である。


ところで、私は7年前(平成15年暮れ)に、珠洲市文化財保護審議委員を辞めている。
にも関わらず、参加したのは、
当番地区の志賀町文化財保護審議員の方から大会についての電話があり、
それと関係しているのかどうか分からないのだが、まもなく案内文が届いた。
何かの間違いだろうと、事務局に問い合わせると、記念大会だからかつて保護活動に貢献した元委員にも案内を出したとのこと。
講演が橋本澄夫氏で聞きたい、それに数が多ければ志賀の応援になるだろう、ぐらいの気分で参加した。


何年間保護審議員だったのだろう?
これを機会に調べてみた。
昭和63年(1988)刊の「能登文化財第22輯」から名簿に名が載っているが、
21輯に「文化財紹介の一方法」の文を珠洲市として書いているし、同級生だった事務担当にそろそろ名簿訂正して置けよ、といった覚えがあるので
昭和60年頃に委員になったようだ。
だとすると、18年間。
思っていたよりも短かい。その頃の能登は19市町村で、170名の委員がいた。

その間、執筆したのは、
前記の
○「文化財紹介の一方法」ー庶民資料の重要性、点から線、線から群れへの保護、指定を提言した。
○「能登国三十三観音巡礼」第23輯 昭和64年(1989)、特別寄稿で、400字詰め95枚。
○「「揚浜塩田製塩技術」の県指定について」第27輯 平成5年(1993)
○「早船狂言と羽唄」第30輯 平成8年(1996)
平成11年の第36回の珠洲大会では珠洲焼資料館を案内したし、貢献した?元委員でいいのだろう。
ちなみに参加委員49名中、元委員は3名。
1名は風邪で当日欠席。もう1名の方は存知あげない方だった。
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記念講演「能登文化財について」橋本澄夫氏。
講演が終わるとすぐ帰られたようで、お話する暇がなかった。
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部屋からの光景・夕方
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朝、山は宝達(ほうだつ)山
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真宗大谷派常徳寺の経蔵とその蔵書ー高畑嵩導氏ー6日朝。
44輯の巻頭文が志賀町藤懸了世氏で、発表が調査の中心になっておいでる高畑氏。

2日目は、高畑氏、松山宗恵氏の「おけさは福浦から」を聞き、
宝達志水町宿西照寺さんで開かれている渋谷利雄氏の個展、羽咋市歴史民俗資料館での特別展「羽咋の雨乞い」を見たり、道興の旅・畠山文化の地をたずねるため志賀町と別れた。