盆の出会いー2・7の市(ニシチノイチ)を調査した高校生ー

お盆が過ぎても朝早く目が覚め、立ち尽くめからくる足裏の痛みの中で、今日はゆったり出来る、と思う頃になると一つの子守歌のメロディが浮かんでくる。


嫁ぎ先から実家にしばらく帰るチョウハイ。
盆踊り、うれしいはずの盆なのに、
♪盆が来たとて、なにうれしかろー 帷子もなし、帯もなし…(竹田の子守歌)。
忙しいさなかには、決して思い浮かべない歌が浮かんでくるとき、
今年のお盆も過ぎようとしている、の感慨に浸る。


14日は朝6時、15日は5時、16日も6時…だいたいこの頃からお墓参りが始まる。
準備もあるし、目覚めていなければならないので、
数日前から、5時起き、あるいは4時起きにリズムを変えていかなければならない。
今年の15日なんぞは、暑くて寝苦しいのもあって、3時半に目覚めてしまった。


14日、山の墓地にいたら、突然の大雨。
数組の家族が周りに見えていたが、一斉に車の中、あるいは待合所の小さな建物に駆け込まれた。
こちらは、「お勤め」最中だったので、シャワーを浴びたか、久しぶりに海に入ったような気分になった。
お勤めの後、雨を避けるために待合所に駆け込んだのだが、この時、小さなドラマがあった。


3組の一族がおいでになり、一人、教え子がいた。


この12日に市役所から、過去の「二七の市」の出店数がつかめないのでデーターがないかと尋ねられ、
昭和25年の「飯田町の二・七の朝市について」(張木吉崇氏「すずろ物語62号」)や、イチに関する新聞の切り抜きなどとともに、
「飯田の朝市 2・7(にしち)の市 青果物等出廻り状況調 調査期間 昭和56年3月~昭和57年2月」という当時の「珠洲市農政課」が出した24ページの冊子をお貸しした。
この冊子は、当時、飯田高校生だった佐藤百合・木村千秋さんが、登校前、朝早くから朝市に出かけ、一人一人の出店者から、一年間聞き取りを行った労作である。
民俗学のまねごとをしていた私だったけれど、とても彼女らの努力、粘り強い調査にはかなわないと思ったものだった…、と、しばし感慨にふけりながらお貸ししたのだった。
そこには、出品品目102品目、出荷量、金額について一年間の全データーが記されている。当たり前だが、二人そろって風邪でも引いたら揃わなかったデーターである。もう、これだけのものは作れないだろう。
その頃私は高校で就職係をしており、その部屋には、いつも生徒が出入りしていた。彼女たちもその中のメンバーだった。
二人からは日常的に調査の様子を聞いており、冊子が出来上がった時に、「こんな本になった」と照れくさそうに、くれたはずだった。
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その2日後に、雨が縁で本人に出会ったのだ。


やー!と挨拶を交わした後、
ほーれ…!
「2・7の市」調べたやろ…。あれ、市役所が、なんかないかというもんで、ついこの間…お見せしたとこや…。
ほぼ30年前の出来事である。
しばらく間があったので、(佐藤だと思ったけど)違うのか?
と思い出し始めた頃、そういや…。センセイ!
そんなことしたが…忘れとったわ…!。
本人でさえ記憶の彼方なのだから、お姉さん方が知るのは初めてだったのだろう
ユリちゃんすごい…と称讃の声が上がり、お子さんたちも母をまぶしげに見つめる、という場面が現出したのだ。


そして、もう一組。
親から、あんたたち同級生でないけ…といわれ、その二人がまじまじ見つめ合い、ほぼ同時に、○○ちゃーん、と声が上がった。

盆はいい。


15日は日差しが強く、午前中の太陽の位置関係で、右後頭部が照りつけられ、熱射病が脳裏をよぎる。
でも、汗をかけるのはもう暫らくしかないのだ、と、ドバドバ汗をかきながらも、
暑さを楽しむ気分が…どこかにあった。
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お盆の3日間、目を和ませたのが百日紅
特に上の木の赤が鮮やかで、いい色ですね、と言っていかれる方が多かった。