能登一周ー19日ー

19日。
写真が必要なところ、
そういえばここに著名な~がある、と気づいたところ、を巡った。
日差しの強い中を、朝出て夕方まで巡ったため、気づけば日焼けがすごかった。

松波・松岡寺

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能登町松波松岡寺(しょうこうじ)さん。
藩政期の西派奥郡の触頭寺院。

東・八幡寺、石瀬

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輪島市町野町東、八幡寺さん(真言宗)。
元久3年(1206)若山荘大谷住平兼基が発願した大般若経などがある。
元久大般若は、1212年八幡宮(後、石瀬比古神社)に奉納されるが、八幡寺と石瀬比古神社は隣接していることを知った。
俄然、次の伝家持歌が生きてくる。
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同所、岩瀬の渡りの歌碑。
「船とむる岩瀬の渡り小夜更けて御薪山にいつる月影」
正面の山が御薪(みかまぎ)山
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旧東小学校校庭の二宮金次郎像。

琵琶法師像

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時國家前にある琵琶法師像。
22日には南砺市城端別院「そよ風コンサート」で、薩摩琵琶(演奏者・松田柱子)を聞いた。

阿岸本誓寺

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輪島市門前町南本誓寺。
藩政期には、東派鳳至郡触頭

能登金剛

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関の鼻(能登金剛)。
平成19年(2007年)能登半島地震で、上部が崩落した。
下の写真が地震前の関の鼻。
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義経船隠し。
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連休最後の日だったため、多くの人々が動いていた。

鹿頭・常徳寺

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鹿頭(ししず)常徳寺さん。
ここの本堂、お内陣は真宗寺院最古の姿を伝えている。
現在一般の本堂に比し、後堂(うしろどう)がなく、よくは分からないのだが、押し板形式、三ツ並び、通し仏壇といったキーワードで示すことが出来る形式のようである。
道場がそのまま寺院化したようで、何よりも写真に見られるように、中尊が前に出るのではなく、あっさりした一直線であるところに古態をとどめる。
高山照蓮寺は永正元年(1504)の創建で、真宗最古の寺院だとのことだが、
たとえ時代が下るにしろ、常徳寺本堂の価値についても、しっかり調査されなくては…と思う。

岸壁の母

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岸壁の母、端野いせさんの実家、端野家のお墓。
志賀町西海風無(かざなし)。
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加能作次郎文学碑。
端野家は、すぐそばにある。
同町西海風戸(ふと)。
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端野いせさんと岸壁の母歌詞。
この碑は「世界一長いベンチ」の途中にある。平成3年に建立された。

羽咋・竹津、妙成寺

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古くは竹津と呼ばれた、滝の港。伝家持の歌が伝わる。
正面の山が、宝達山
立ち位置の、真後ろが気多の杜で、
気多神社古墳、随神門は、宝達山に相対している。
すなわち、気多は宝達の遥拝所だった可能性が高い。
滝の港から右に岬を廻ると、高爪山が目に飛び込んでくる。


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正面の家を中心に、右に妙成寺五重塔、左手遠くに高爪山。

雄谷家

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志賀町福野雄谷家の塀。
旧家である。
確か、この家のお仏壇が、能登最古の在家仏壇のはずだ。

須受八幡・能舞台

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ポーンと飛んで、珠洲市正院町須受八幡宮能舞台
須受は、「鈴」の万葉仮名。