城端別院善徳寺・虫干し法會、井波別院瑞泉寺・太子伝絵ー22、23日ー

ゆったりと全身で法話、絵解きを聞くー私の夏休み。
今年は22日~23日にかけて行ってきた。


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城端別院善徳寺本堂


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井波別院瑞泉寺 太子堂



22日の夜は城端別院でコンサートがあるという。
井波瑞泉寺・太子絵伝絵解きを聞き、偶然語っておいでた竹部俊恵師にお会いし
旅館に荷物を置いて、再び城端に向かった。夜9時過ぎ、旅館へ。

宮商和して自然なり

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城端別院境内「そよ風コンサート」のチケット。
サブタイトル「響存 宮商和して自然なり」。
いろんな人に、どう読むのか聞いてみた。
「みや、しょうわ、みやしょう」「しぜん」が多かった。
響存は当て字なのだろうが、次は
「きゅう・しょう、和してじねんなり」と読む。
宮・商は雅楽の基本的な音階。それが微妙にハーモニーを奏で、心地よく流れている、という淨土の様子を表した歌。
「清風(しょうふう)宝樹(ほうじゅ)をふくときは、
五つの音声(おんじょう)いだしつつ、
宮商和して自然なり。
清淨勲(しょうじょうくん。阿弥陀仏のこと)を礼(らい)すべし」(親鸞聖人作、讃阿弥陀仏和讚)の一部である。
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コンサート前の散策。
別院前の四つ角。
懐かしいポスト。
大正11年に建てられた道標(複製)。ここには、井波、福光、立野原への距離が記されている。
歩道に面した側には、「立野原へ 貳拾五町拾七間」と書いてある。
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コンサート。
4人組(後藤年朗、杉本武志、山口まゆみ・キーボード、馬川透・ボーカル・ギター)のロック。
歌を聞きながら、山門、信号、松、月をぼんやり眺めていた。
風はほとんどなかったが、風呂上がりで会場に駆けつけられたのだろう…さわやかな香り・涼がただよい…
これぞ、そよ風コンサート…だった。
ロックのあとは、尺八(安居登)、ジャズ(古里あゆ、北島亜矢)、薩摩琵琶(松田柱子)、シンセサイザー(滝沢卓)、オカリナ(鄭光鈞)と続く。



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宿泊した「東山荘」のパンフ。
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パンフの内容。
「井波焼」(赤絵勇次郎作)の説明に、
「作者は阿波徳島の人。
南画をよくし、文化10年(1813)加賀若杉に来て陶法を学び、
独特の赤絵付を始める。
能登正院、越中小杉を経て、
天保13年(1842)井波小牧屋(東山荘前身)に招かれ滞在し、
八乙女山の陶土にて井波焼きを作る」
ここに滞在した陶工と、珠洲市正院がつながるとは…。
正院には、あまり解明されていない「正院焼」があった。
その「井波焼き」と旅館の欄間:パンフ:PDF
【追記】珠洲焼資料館の学芸員さんに確かめたら、赤絵勇次郎は相当有名な人だとのこと。正院にもいましたし…と、すぐ正院が出てきた。
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旅館外観。
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井波別院の目の前にある旅館で、二回から見ると山門がすぐそばに見える。
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東山荘内。
美術館のような…といわれているように、欄間の彫刻などが素晴らしい。
写真は、石山寺
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菅原道真像。
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聖徳太子16歳。
太子孝養(きょうよう)像。
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聖徳太子2歳。
南無太子像。


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朝の井波町並み。


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瑞泉寺山門の龍の彫刻。


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帰りは、初めて中能登町小竹(おだけ)へ出る道を通ってみた。
カーブが続く大変な山道だった。