寅年にちなみ…、伝「虎御前」墓ー能都町藤波・間島ーの変遷ー古いネガの再生

ふすまの下張り・文書、印刷物・冊子、本…整理すべきものが山積み状態に加えて、能登を知る会機関誌「能登のくに」に反映しようと思い、このほど届けていただいた「季刊能登」の目次編集をも始めている。
そうこうしている日々の中で、コンパクトなフィルムスキャン、すなわちネガフィルムを読み取り、最終的にはパソコンに保存できる機器があることを知った。調査人生35年。膨大なネガフイルムがある。そして、その間に半島の光景も変わり、行事も随分変化した。
何とか調査フィルムを生かせないかと、心の隅に思い続けていたのだが、その一端が解決できそうだ。
早速購入して、分からないネガを反転拡大しながら、とりあえず、家族・学校・生徒・人物グループと調査・行事・寺社・学会旅行の二つのグループに大別した。実際に取り込むのは先になる。
その課程で、昭和55年刊『能都町史』に用いた当時の能都町(現能登町)間島・虎御前墓のネガが出てきた。
今建っている弁天堂のような建物の場所には、堂に入った五輪塔があり、それ以前は五輪・宝筐印塔混成塔があったはず…。
それを証明する写真なのだ。

昨年暮れの間島(長島)

f:id:umiyamabusi:20091216124813j:image
2009年12月15日撮影。

2003年刊、『能登のくにー半島の風土と歴史ー』に用いた間島夕景

f:id:umiyamabusi:20100128211434j:image
f:id:umiyamabusi:20100128211444j:image
2000年頃の写真。本の裏表紙にも用いた。
f:id:umiyamabusi:20100128213259j:image
『能登のくにー半島の風土と歴史ー』本文と写真
f:id:umiyamabusi:20100130115303j:image
f:id:umiyamabusi:20100130115259j:image

30余年前の間島・虎御前の墓

f:id:umiyamabusi:20100128211428j:image
f:id:umiyamabusi:20100128211417j:image
二本の松の間に、五輪・宝筐印混成塔が建っている。
f:id:umiyamabusi:20100128213253j:image
上の2枚は少なくとも昭和53・4年頃までに撮影した間島・虎御前墓。
写真は昭和55年5月刊行『能都町史』第一巻に載せた。
『能都町史』本文(写真も)によると「五輪塔が建っている。もとは宝筐印塔と五輪の混成塔であったが行方不明となった後に建てられたもので、虎御前の墓と伝えられている。」とあり、先にも書いたが、堂に入ったどっしりした五輪塔が同じ場所にあった記憶もあるので、この写真はそれ以前の虎墓(五輪・宝筐印混成塔)である。
町史には、間島へ行けばいつでも会える当時の五輪塔ではなく、以前あった塔・墓を紹介したのだった。
今となっては、五輪塔の写真がないこととなった。そのうちに出てくるかも知れない。


書き終えてから、今年は寅年だと気づいた。
それで、いかにも先から考えていたように、タイトルに「寅年にちなみ…」を付け加えた。