季刊「能登」を求めて

かつて、「能登」という季刊誌が発行されていた。
かつてと書いたが、現在も続いているのかも知れない。
発行元に問い合わせたら、平成14年に終刊したのだという。
この季刊誌は観光がメインだったが、能登各地の地域史研究の重要な方々が執筆されていた。
戦後、郷土史研究が盛んになり、時代を担った方々が執筆された季刊誌。
貴重な能登の民俗、文化資料であることは間違いない。

能登4郡、それぞれを代表する図書館・資料館あたりには揃っていなければならないものである。
執筆者はお持ちなのだろうが、近年、執筆陣のかなりの方が世を去っておられる。
そういうことがあって、能登各地の図書館、資料館を訪ねるたびに、バックナンバーをお持ちかどうか尋ねた。
季刊誌があること自体を知らないことが多かった。
県立図書館を検索したところ、姉妹紙の季刊「金沢」はあったが、「能登」はない。
何とかしなくては、と発行元に再度問い合わせると、バックナンバーは揃っているとのこと。
生かしていただけるのなら、利用してくださいとの言葉もいただいた。



生かす方法は、たとえば
一、羽咋なら羽咋の執筆陣のコピーをとって、中心図書館、歴史民俗資料館などに残す…
一、飯田高校百周年記念誌「奥能登散策ノート(仮題)」に使わせてもらう。


わたしの手元には、12号から34号分があり、多くは能登国三十三観音順礼札所の連載分である。
わたしの場合はこの時の取材を元に論文や単行本にすることが出来たが、能登十二薬師や、珠洲の風物詩など、ここだけに書いたものもいくつかある。
おそらく、同様のケースが多いだろうから、それらを
一、「能登のくに」に再掲して、知っていただく。



ともかくどなたが何を書いておいでになるのか、全体を見る必要がある。
春になったら、確認の上、コピーをとらせてもらおうと思っていた。

全104号との出会い

23日の午前中に金沢に用事があり、朝早くから雪道を走ることになれば困るので、22日の日中に金沢へ向かった。
午後4時過ぎに金沢に着き、ホテルにこもって本を読むつもりでいたのに、いつかたずねなけらばならない出版元の場所を探してみようと思ってしまった。
この時、捻挫・膝の痛みはたいしたことがなく、寒さもそれほどではなかったのである。


歩いている途中に出版元に電話を入れると、随分遠いことが分かった。
社長さんが、珠洲に行くついでに持って行きますよ、とおっしゃるので、いえいえ、そのうちわたしの方から訪ねます…
と電話を切ったのだが、足の方は会社近くへ向かっていく。
そして、あり得ないことがおこった。
閑静な住宅街にある会社にたどり着いてしまったのだ。
突然おじゃましたのにも関わらず、二分冊に製本したバックナンバーを見せていただいた。
昭和55(1980)年4月1日の創刊号から、平成14(2002)年6月10日発行の第104号まで、22年分がすべて揃っていた。
いつかコピーできる日を夢見て、会社を辞し、浅野川沿いの道を駅西のホテルに向かった。
すっかり日は暮れ、かなり冷え込んできた。
雷鳴もしだした。
国道8号線と高速道路が平行しているあたりで、どこにいるのか分からなくなってきた。
地下道を見つけ、出たところから急ぎ足であるいていくと、かなり経って弓取町の案内矢印が見えた。
おかしい、まだ弓取町か?
しかもいつも車から見ている矢印と反対になっている、と思いながら進んでいくと、平原に出てしまった。
地下道を出たところからUターンしていたのだ。
再び反対側に向かい、3度目の地下道をくぐり、ようやく拾ったタクシーで帰る。
あとで、地図ではかって見ると、約12キロ歩いていた。


翌23日、金沢の用事を終え、家に帰ってしばらくすると、宅急便が届いた。
一部コピーを含み、104号すべての「能登」が入っていた。
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右から創刊号(昭和55年・1980・4月1日)、第26号(昭和62年・1987・1月1日)、第51号(平成5年・1993・3月1日)、第76号(平成9年・1997・9月1日)。46号からカラー。全104号、22年間分、各々B4版、4ページ。


ご厚意を生かさなければ…
感謝感謝の中で、ただ今、分析中。

執筆者41名中、執筆回数の多い方々

(敬称略、旧市町村名、回数、○は最終号時点で連載中だった方)
藤平朝雄  輪島 56○
堀田成雄  羽咋 55
水尻文造  門前 50○
室矢幹夫  志賀 39
坪井純子  七尾 36
西山郷史  珠洲 34
和島俊二  珠洲 28
渋谷利雄  羽咋 27○
坂下喜久次 内浦 19○
中橋達夫  鹿島 19○
笠師 昇  七尾  8
松浦五郎  七尾  8
小幡秀治  羽咋  7○
高木 清  鳥屋  7
林 忠雄  羽咋  6
 ※少なくとも5名の方は、もう執筆されることがない。

追記ーこんどは

上に書いた執筆者の方々の近況を知るべく、各地に電話して問い合わせていると、なんと、こちらに来たついでに…、と、社長さんがお寄りになった。
執筆を依頼した時の話や、ここで置きましょうとなった時の話、初期の無記名執筆時代の話など、「季刊能登」時代の思い出話に花が咲いた。