あえのことー資料ー田中家(珠洲市若山町火宮)

能登のうみやまブシ」ブログに今まで書いた「あえのこと」
書籍、謄写版、コピー等で資料がそろっているレジメ「文献紹介~昭和四〇年」(PDF)
資料に追加すべき「最後のあえのこと」(「BOOKRIUM本のある生活」より。)


5日午後2時半頃、家ごとに違うのが当たり前の行事だった「あえのこと」が、どうして画一的なものになったのか、大切な提言をなさっている「最後のあえのこと」の文に出会い、取り込むにはどうしたらいいのかを考えながら、頭の片隅では調査に出かけていた頃を思い出していた。


日もどっぷり暮れ、ようやく探し当てた曽又(能登町)の山岸家。
あの時、車から降りると、小豆を炊いている香りが一帯に漂っていて、当時有名だった山岸家だけでなく、どの家でも行事を行っていることを肌で感じた。
働くものの理想を具現化した田の神は、朝早くから夕方遅くまで働いておられる。
季節に当てはめると、春は早く、暮れは遅くで、暮れの行事は日が暮れてから提灯を持って田の神を迎えにいったものだ…
と、遠い日に思いを馳せていると、近年は取材やTVの関係で昼に行っていることを思い出した。
最近、見学に行かないのは、この時期の忙しさもあるが、取材、写真の喧噪の中で坐っているほどの気力がなくなっている。、
今年は9月のユネスコ無形文化遺産登録もあって、元々裃を着てやる家がなかったところでも、いわゆる「あえのこと」を始めだしたという話が流れており、大きく変貌する年なのかも知れない。そういうなかで、時間こそ昼に移ったが、他の伝統的な要素はすべて伝えてきた田中家はどうなっているのだろう。当主の牛雄氏も数えで88になっておられるはずだ…と考え出したら、鈍い動きではあるが、田中家へと動きだしてしまった。
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御膳。田中家は夫婦神。独神、子供と3神など、家によってまちまちである。
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この「上がりがまち」から座敷に入られる。いい「上がりがまち」だ。
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田中家の井戸。