「連理の杖」「略暦」](真宗唱導資料)

親鸞聖人関東ヨリ御帰洛之砌 御化益連理之御杖」「→(PDF)」

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実物は、聖人隠棲の地といわれる花園月見の御旧跡、現在の大泉寺(浄土宗)に伝わる。
一昨年の9月18日、日本民俗学会の折に同寺を訪ねている。
一緒に出向いた研究者の方々が、「連理の杖」に多大な関心を寄せておいでた。
その時、「もの」は強いなァ…との印象を持ったのだが、
この刷り物は、当地の安用寺家、伊予家(コピー)の資料にあり、広く喧伝されていた「杖」だったようだ。
そのことを知っておられたからの反応だったのかも知れない。

愚禿・和歌
「別れ路をさのみ嘆(なげく)な法(のり)の友 またあふ国のありとおもへば」
「恋しくは南無あみだ仏をとなふべし われも六字の内にこそすめ」。
※六字=六字の名号・南無阿弥陀仏

「壬申歳 略暦」「(PDF)」

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「壬申歳略暦
 廣大の御恩
ありかたや十七八の五本願(御本願)
信して参る二四(西)の極楽
 小身の我に受
正信偈和三て(和讃で) 六字名号の
九徳(功徳)のへ霜(述べしも) 祖師の恩徳
 右愚詠  紀州秤廼屋 元緒」
壬申(明治五年・1872か、文化9年・1812が壬申の歳)の歳の大の月、小の月を記す。
太陽暦になった現代でも、31日の月(大)と28日~30日(小)の月があり、小の2,4,6,9,11月を「西(2,4)向く(6,9)士(11)」の語呂合わせで覚えた。
月の満ち欠けによって、毎年大小の月が違い、閏月まであった陰暦時代には、大小月を覚えるのに様々な工夫がなされた。
この資料は、真宗の教えを歌に詠み込むながら大小の月を示している。
生活の中に、いかに教えが身近なものとしてあったのか…の一つの証左だろう。
最初、五本願を、文字通りに、重要な願である17,18,11.12,13の五願を示しているのかと思ったのだが、教学的すぎるので、「御」と見た。
その年は、2,4,5、7,8,10,極(12)月が大の月、
正(1)、3,6,9,霜(11)月が小の月だったのだ。
本当によくできている。