遠島山公園ー5つの資料館ー

21日、能登町での用事を終えてから、遠島山の資料館を訪ねた。
以前より、すっきりしていて、それだけに濃密な時を過ごすことができた。
郷土館、民俗館、羽根万象美術館、西谷(啓治)記念館、益谷(秀次)記念館の5館があり、共通入館料は300円。
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元、輪島市町野町徳成にあった百万家を移築。
農村資料を一堂に集めた郷土館になっている。
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遠島山は、棚木城址でもある。
その頃の名残を伝えるという、「馬洗い池」。
ようやく蓮池に巡り会った、との思いを強くしたが、ここには黒サンショウウオが棲息しているという。
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舟隠し。
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ドウブネ(筒舟)。
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この絵馬は、写真で見ただけだったのか、実際に見た記憶があるのか判然としないまま、遠い記憶と結びついていて、、時々思い出していた。
ここで、出会うとは…。
記憶というのは、かつてー磯辺に消えたか「福子伝承」ー(PDF)という新聞記事を書いたことがあり、その時、鯨の恩返しを調べた。
ある時、大きな鯨が渚に寄ってきて、七村七浦を潤すが、その鯨には「庄九郎(だったと記憶するのだが)」の名が刻まれていた。「庄九郎」は村人が面倒を見ていた人物で、恩返しに鯨になって寄りついたのだろう、と村人は語り合った、という話なのだが、それを描いたのが、この絵馬だとの記憶である。
しかし、この絵馬で、陣取っているのは加賀藩第13代藩主斉泰(ナリヤス)で、この絵馬は、斉泰の能登巡視の折の嘉永六年(1853)4月17日早朝に行われた鯨撮りの様子を描いたものである。
庄九郎の名があるはずだが…ない。
どこかで2つの話の記憶がごっちゃになっている。
確認しなければ…。
ということで、それを調べるきっかけになった1984年の新聞記事を読んでみた。
その上で『能都町史』を数冊調べてみたのだが、その記事が見つからない…。
ようやく、町史第5巻(p56)に、小林篤二さんがお書きになった「山里猪平の人が、港の人々の情けを受けていたので恩返しをしたいと言っているうちに亡くなった。間もなく大鯨が捕れたので恩返しに来たのだと言われるようになった、」との文を見つけた。
この伝承は、矢波日吉神社にある弘化2年(1845)に描かれた捕鯨絵馬に関わる話である。
人物名は出てこないものの、どうも矢波の話だったようだ。
ずーっと有名な斉泰絵馬だと思っていた。
【追記】見つかった。町史第2巻p639~641。
「庄次兵衛鯨」という話で、ヒレの下に名が浮き出ていたという。ほかにも、海蔵院鯨、波波鯨島の由来が取り上げられている。山田正雄氏執筆。
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風土記逍遥ー遠島山公園」パンフの民俗館(水産資料)・郷土館紹介。