摂取不捨印 、上品下生印=来迎印

白山下山仏を紹介した原稿「ほくりく古仏巡礼・第2回・浄土信仰を伝える白山下山仏、尾添と白峰の阿弥陀如来」(『北國文華』2004年夏号)に、
上品下生印すなわち来迎印は、「真宗の本尊(方便法身尊像)に代表されるものである。」と書いていた。
17日の七尾鹿島坊守会で、阿弥陀如来諸像をプロジェクターを用いてお見せした。
どうして阿弥陀さまの流れをお見せすることを思いついたかというと、
前回の別の坊守会で、どうして私たちのご本尊は、蓮の上に立っておいでるのか、との質問を受けたためで、五劫思惟の阿弥陀如来法蔵菩薩なのだが、像名は五劫思惟阿弥陀如来像となっている)から、方便法身尊形に至る弥陀仏~光明本尊の流れをお見せしようと思ったのである。
色々文献にあたっていると、
至文堂『日本の美術No488 中世真宗の美術』(津田徹英)に
「印相は来迎印と同一ではあるもののそう呼ぶこと自体、上述(臨終マツコトナシ。来迎タノムコトナシ(『末灯鈔』)の思想に反する。そのため、真宗ではこれを「摂取不捨印」と言い換えるとともに、一般には足下の蓮台に来迎を意味する雲が伴うこともない。」とあることを知った。
そうなのだー「摂取不捨印」!。
ずーとモヤモヤとしていたのがストンと落ち着いた。
そして、それをお話しすべく、昨日の坊守会とプロジェクター初使用。


そして、今日、
尾添にお住みの林源常さんのとの出会いを確かめるべく、かつて書いた原稿を読んでいて「来迎印」と書いていたことにあらためて気づいたのである(ムムムム…)。


師は至るところにおいでる…。