惣仏講ーせりお講ー穴水町比良ー餅御講、ダンバライー穴水町

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比良の集落を流れる住吉川


11日(水)、
穴水町比良では、
三ヶ寺による惣仏講、せりお講とも呼ばれる仏事が営まれた。
せりお講の名は、本来なら餅の競りが行われたところから来た名である。
寒の水で作ったお供えの餅を卸し、
競りに掛け
その収入をもって本山護持、法義相続に充てた仏事である。
場所によってはダンバライ(仏壇のお供え餅払い=壇払い)講といったり
餅御講などともいう。


比良は、穴水湾の最も奥まったところに位置する集落で、
住吉川が流れ込み、
中居、伊久留、曽山、甲を結ぶ要所にある。
奥が深く、三ヶ寺ものお寺があっても不思議ではない。


三ヶ寺というのは、海側から浄土真宗本願寺派真竜寺、
真宗大谷派光宗寺、
本願寺派法栄寺で、光宗寺と法栄寺は軒を連ね、真竜寺も並んで建つ。
住職家、それぞれの姓が幽経、住川、比良で、
住吉川と関係がありそうな住川姓も含め、歴史を感じる。


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今年の会所は川沿いの集会所で、
向かって右にお惣仏
左に今年の当番寺院光宗寺さんの法宝物
顕如上人」画像を安置して営まれた。


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お惣仏は、本如上人代の尊像で、願主講忠。
厨子の扉裏に書き込みがあるというので見せていただいた。
それに寄れば、
文政2年(1819)3月に、厨子の塗り替えが行われている。
本如上人による「宗意裁断の法話」があったのは文化3年(1803)のことで、
この地でも法義相続機運の高揚があったのだろう。


本如上人の院号は信明院で、
お東の歓喜光院(乗如上人)御崇敬に対し、
お西では、この宗意裁断を記念して
信明院殿御崇敬が行われている。


郡を越えた広い範囲の信明院殿御崇敬は、文政12年に始まったといわれている。
それとは別に、
地域では様々な講が行われていたのだ。


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餅ならぬ、日常品が並べられ、競りに掛けられていく。
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以前は15日(涅槃、中暦の田植え正月)、
近年は11日(田打ち正月)にこのお講が行われているとのことだが、
鯛を焼いて出す慣わしになっているという。
薪と炭火で、丁寧に焼く。
メバルを出したこともあったというから、
田植え正月的な要素も混じっている。


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撮影場所は、上野畑のはずれ。
手前法栄寺、並んで向こうが光宗寺。


両寺に接する後方の畑が上野畑で、
縄文土器が多く見つかっている。
特に、魚のような30㌢ばかりの石器が3つも出土し、
のちにそれが「御物石器」と呼ばれるようになる


大きな歴史の舞台に、
連綿と続く
せりお講。