横川巴人と飯田中学校(現飯田高等学校)初代校長中村禎雄
巴人の書画
西勝寺蔵
巴人画と飾り
『無 横川巴人』所収
以上2幅、『夢 横川巴人作品集』所収
蓮如上人画像
十六羅漢図
以上2幅 志賀町
☞巴人展(高沢ろうそく店)、荷人・巴人
福永武彦『貝合わせ』の舞台で知られる
湖月館(志賀町富来地頭町)
巴人の甥・中村禎雄ー飯田中学校初代校長ー
巴人の甥が中村禎雄である。
さらに禎雄の3男敬雄(ひろお)氏が横川家の養子に入り跡を継いだ。
敬雄が著した『無ー横川巴人』には、
中村禎雄は石川県立金沢第一中学校(現泉丘高校)校長と記されているが、
七尾中学校教頭だった禎雄が校長になったのは
昭和4年のことで、
飯田中学校(現飯田高校)初代校長としてであった。
ことしは、80年目になる。
昭和40年8月には、飯田高等学校旧校舎図書館横に中村校長の胸像が建てられた。
大学1年生だった私は、夏休みには同級生としょっちゅう母校に顔を出していて、碑が建った時のことを鮮明に覚えている。
現在は、新校舎の門の横に建つ。
(写真は石川県立飯田高等学校同窓会『創立90周年記念号会員名簿』から転載)
飯田高校初代校長と巴人と関係があったことは、
巴人に関心を持ちだして古本屋から本を買い
読みあさっているうちに
気づいたことで、
今年に入ってからのことだ。
このことについては
どの程度知られているのだろうか…。
また
当寺に巴人の作品が伝わっている来歴は分かっていない。
多くの教員が下宿していた寺庵なので
中村が校長だった昭和4年からの5年半に
接点があったのかもしれない…
奥能登の生活を聞いておられるとすれば敬雄氏なのだろうが
敬雄氏もすでに82才になっておられるはずだ。