「能登を知る会」・海揚がりの珠洲焼研修【珠洲市】【取材記事】

この目で海揚がりの珠洲焼を見てもらおうと、一旦海揚がりの珠洲焼を我が家に移して
能登を知る会」の勉強会を行った。
初めての「能登を知る会」名での集まりということで、
市内の現会員30名以外にも、
関心をお持ちではないかと思われる能登町宇出津(うしつ)、輪島市町野町あたりまでの数名にも案内を出した。


松田弘(白山市)、仲谷由美(能登町)、小橋明直(輪島市)さんも姿をお見せになり、
午後2時から5時まで、わいわい話し合った。


珠洲焼資料館で「海を旅した珠洲焼」展を開いた平成9(1997)年は
その前年の9月に
「全国豊かな海づくり大会」が行われ、
その年の1月にはナホトカ号の重油日本海側の海に漂着する
という大きな出来事があった。


そして、その年の7月4日に「海からこんなものが網にかかって揚がったのやけど…」
と、確か自転車に丸い壺のようなものを積んでもってお出でになった方がおられた。
いろんな角度から調べ(てもらい)、
19日ー燈籠山(とろやま)祭りの前日ーの夕刻、慌ただしい中で引き揚げられた方にお返しした。
なんと、珠洲焼の水瓶だったのである。
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その海揚がりの水瓶は、展覧会を飾ることになった。(写真上の線は、メモ書きに「首部」と書いた時に引いた線)


平成14(2002)年6月6日。
飯田沖約19キロ、水深約300メートルの海底から珠洲焼の壺が網で引き揚げられた。
その方が、私の恩師である砂山先生に話され、持ってこられた。
これは中日、北國新聞に載った。


平成15年(2003)年、北國新聞で「能登に生きる」という連載があり、最初が「珠洲焼物語」だった。
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(pdf版)


12年前の水瓶と今度の壺は、沿岸で水深も浅く、なまこ漁の網にかかった。
それに対して、7年前の壺は沖20キロ、水深300メートルのところで底引き網にかかったものである。
新聞には書いてないが、底曳き網を引き揚げる時の口部を絞る圧力はすごく、壺なんかは割れてしまうのだそうだ。
ところが、この壺が無傷で姿を現したのは
魚や蛸(だったと記憶している)に包まれていて、
それが緩衝の役割を果たしたためだとのことだった。
奇跡に奇跡が加わったような話だった。


それぞれに想い出のある三点の海揚がり。
その時聞いたエピソードは伝えておかなければならない…。


ところで、メンバーの何人かは『珠洲散策のーと』を持ってお出でになっていた。
平成15年の話は、よみづらい新聞コピーを用いたのだが、
あとで「散策のーと」を見ると、その記事(pdf版原稿
を載せている(原稿のNは西山)。
ノートにのっていますよ…と
触れればよかった…
は「10日の菊」。


そして、今度の新聞。



これらの資料を用い
語り合いのきっかけにしたのである。