御崇敬(ごそっきょう)ー歓喜光院殿・基礎資料



御崇敬(ごそっきょう)参詣・調査の歴史

御崇敬は能登四郡のうち、羽咋・鹿島二郡と鳳至郡で行われている。
私の住む珠洲では戦後間もなく行わなくなったとのことで
御崇敬は新知見に属する仏事だった。


この行事にじっくり身を寄せたのは、
昭和58年(1983)11月11日~17日の富来町中山でのことではなかっただろうか…。
宿坊は正念寺さんで、中山だけでなく広い範囲の門徒宅が宿舎となっていた。
何度か下調べをして、御崇敬最後の晩・お初夜を過ごさせていただいた。
その時の差定(さじょう)がある。
初夜 午後7時 先出仕 次総礼 次正信偈 念仏讃 和讚 次回向 次総礼
次退出 御書立(おかきたて) 御消息と一連の仏事が続き挨拶となる。
委員長(田中浄法寺・向正睦)送り説教(大町長善寺) 宿寺(正念寺・平橋宗三郎) 迎え説教(鳥越蓮光寺) 護持会会長(津幡町・出村市太郎)
そして御示談(ごじだん)
差定には「以下四時迄布教示談交互に行ふ」とあり、17日朝4時からの晨朝のお参りまで、御示談が延々と行われたのである。
晨朝(お朝事)のお参りが終わって、一席お説教があり、お寺を辞退した。
その後、何軒かの門徒さん宅に分かれて、門徒の人たちだけでのお説教・御示談が行われた。
○この時の新聞記事(昭和58年11月23日朝刊:pdf)をお書きになった北國新聞社学芸部の砺波和年氏と一緒に行事に参加した。
お寺から門徒さん宅に向かう途中だったか、あるいはもっと前の休憩時間だったか、坂道を歩いていて道を曲がった途端に星空がパアーと広がった。
寒空の元、「能登はいいなァー」とつぶやいた。
砺波氏が「西山さんは、本当に能登が好きながやなァ」といった。
そのことと、門徒さん宅でチョウチョがどうのこうのといったお説教があったことを印象深く覚えている。 
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御崇敬は
○『能登島町史』第2巻・昭和58年(1983)
○『鹿島町史』通史民俗編・昭和60年(1985)
○『中島町史』通史編・平成7年(1995)
でも報告したが、
論文の形で発表したのが
○「能登の御影巡回ー歓喜光院御崇敬とその背景ー」昭和62年(1987)である。
後に『蓮如真宗行事ー能登の宗教民俗ー』(木耳社)に収載した。
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志賀町の室矢幹夫さんが「加能民俗研究」10号に論を寄せた。
ところがこの号を参考文献として某所でお見せしたところ行方不明になってしまい、「研究」の中でこの号だけがない。
正しくは室矢さんが書いていたはずだ、となる。
○室矢氏は、『石川県大百科事典』(平成5年・北國新聞社)にも書いておられる。
ところが、この本の改訂版ではなぜか室矢氏の名が消え、校訂した人の執筆ということになってしまった。
先駆けの方の報告が消えてしまうのは残念なので、先の百科の方を記録として記しておく。
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○あと同じ志賀町の浜野三郎さんが「加能民俗(冊子)」に触れておいでるはずだ。


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○蒲池氏が『真宗民俗の再発見』(2001年・法藏館)に「能登の御崇敬」を書いておられる(p63~69)。


さらに
『石川の祭り・行事』(pdf)(平成11年・石川県教育委員会)でも紹介した。
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○新聞では北國新聞平成9年(1997)12月23日(火)
「神よ仏よー信仰厚き北陸路を行くー」最終回(39)が「御崇敬」だった。




日本民俗大辞典(上巻627p、吉川弘文館・1999年)に書いたように、大変な伝統を持つ行事である。
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この仏事が途絶えたのは
あまりに多くの人びとが群参したため「公議より御調に付き御休」(歓喜光院殿御越年次宿坊記)した文化6、7年(1809~10)のほかは、
昨年の能登沖地震震源地近くの予定宿寺が甚大な被害を被り
どうしても行うことが出来なかった2回のみである。