たどりついた「臼が峰(臼ヶ峰)」

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氷見志雄線、氷見市三尾地内。床鍋口。この集落から臼ヶ峰への道がはじまる。
何度かこの道は通っている。
いつも志雄側、すなわち石川県側から峠を抜けていたので、氷見側から来れば見える「臼ヶ峰」の標識に気づかなかった。
臼ヶ峰へは「所司原・神子原線」から2~3度、小矢部市老谷からも登り口を訪ねてみたことがあるが、どうしてもたどり着けないでいた。


4日、碁石が峰から氷見に出て、羽咋へ通じる国道415号線を走っていると、谷屋で「臼ヶ峰」の案内板を見つけた。
主要地方道64号線、県道300号線小久米~日名田~三尾から床鍋に向かい、床鍋集落手前から臼が峰への道が通じている。
親鸞聖人が801年前に通られたのではないかといわれている古代からの峠道、
臼が峰道と臼が峰は、予想以上に整備された、よい公園になっていた。
今まで背中ばかりながめていて、顔を知らないままにいた…という印象。
今日(6日)も、臼ヶ峰~碁石が峰を越えた。

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三尾床鍋口から2キロ近くいくと、臼ヶ峰への案内板がある。
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「道標と尼谷地蔵」案内板。道標には「左子浦往来」「右見砂道」「願主氷見…」とある(以下、案内板の記事による)。
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「善證塚」。山伏善證坊の墓だという。ここでは、幾度となく戦いが行われたという。
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「茶屋場」寛永10年(1633)から12回巡検使節が通った。その折の休憩場所。
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標高270㍍。昭和44年6月1日氷見名勝に指定、などが記されている。
方位と見える山々の図が親切。
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親鸞聖人像が建つ丘(塚)。
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丘の上から。
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親鸞聖人像。二上山、さらにこれから向かわれる上越の地を見据えておいでる。
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大伴家持天平20年(748)「之乎路可良 多太古要久礼婆…(しおじから ただこえくれば…)」の歌碑。
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太子(聖徳太子)堂。この太子が越後に向かわれる聖人に、この付近で教えを説いて欲しいと願った、との伝説がある。
8月1日にお参りがあるそうだ。
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地蔵さんの像がある一帯に、万葉集の秀歌が彫られている。
先日書いた「家にあれば笥に盛る飯を…」歌碑があったので、撮影。
供笥・須弥盛
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地蔵さんがずらりと並んでおいでる。
杉野屋~見砂~小矢部市老谷