同世代の民俗の会


「記憶は、過去のものではない。
それは、すでに過ぎ去ったもののことでなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。
(中略)
じぶんの記憶を耕すこと。
その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものだと思う」
長田弘『記憶のつくり方』(「おやまごぼう」284号の孫引き)


民俗は、
研究者と葉書一枚の報告者とが一堂に会し、
ワァワァ言いあえる学びの世界を持っていた。
そんなメンバーたちの中で、
民間(研究職ではない高校教諭あたりまで)で生計を立てていた同世代のメンバーは、
多忙な中間管理職、管理職になる頃から、
民俗調査から離れていった。


一方、民俗は学会となって、
葉書や数枚の報告から論文が主の会に大きく変わり、
研究職にいるものしか手が届かないものになっていった。
かつて石川県の民俗誌概論を書く必要があって、民俗誌の歴史を眺めているうちに、
そのことに思いいたった。
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(『日本民俗誌集成』第12巻北陸編(2)石川県・福井県1997年11月刊 三一書房
なおこのシリーズは全25巻の企画で、この本は第6回配本だった。このあと2冊ほど出版されたが、その後は刊行されていないようである)
民俗を述べる時、
「そこに住む人々が好きになってどうしてなのか明らかにしたいという願い、すなわち共感・感動よりも、隣接諸科学との関係で客観的な知の世界を選」ぶようになってきた、
と書いてから11年

この傾向はドンドン進んでいるが、


そろそろ同世代が自由な時間を持てるようになって帰ってくる。


私はそういう季節が近いことを感じ、
いわば、いつか故郷に帰ってくる人々のために奥能登を守りながら生きる、
それに似た思いを持ちながら

今年の「加能民俗の会」総会に参加した。


見事に同世代はいなかった。


一時期忙しく、その他で会を辞め、再び戻った時に
「よう帰ってきたな…
一緒にやらんかい…」と
声をかけてくれた人がいた。
その人と並んで座り、発表を聞いた。


そういう人にはなれないけれど、
おーい、どうしてる。と声をかけ、
今度は一緒に会に行こう、と誘わなければ
と帰り道に思った。



昔の仲間に電話した。
長い間入院していた。
もう無理は出来ないと思い、会を退会した。


もう一人に電話した。
どうしてる…。久しぶり。
今、東京にいる。
多分、もう石川へは帰らない…


がーーーーーん。
もう次の人に
電話をかける気力が湧かない。


それぞれが、
それぞれの新しい人生を歩んでいる。


会は
多分、研究者が発表・論をかき
定年後の新しい世界を求める人々が
知的欲求を満たす場になっていくのだろう
(もう、なっているのだろう)
その二極の流れに気づかず、


ずるずる真ん中あたりで存在しているような気分で
ズーとおれたのは、


能登に生きてきた
仕合わせ
だったのかも知れない。


彼らとの調査・執筆の日々。
「記憶は過ぎ去らないもの」として、
いま鮮やかに蘇えってこようとしている。


先へ進めない。

※民俗誌集成で再録したのは、以下の通り。
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