宝達山遥拝地のはずが…大己貴像石(おおなむちかたいし)神社と気多随神門
今までの私の確認では、
気多社の入らずの杜古墳、
長福院・薬師院・地蔵院(いずれも廃寺)、
地震石で知られる大己貴像石神社、
その並びの延長上にある楊田神社
は、いずれもが宝達山に正対しているはずだった。
現場に立てば立つほど、
その相がくっきりし、疑いのないものになっていたのである。
これらは、いわば、
宝達の遥拝所を意識する地に建てられた諸堂だった。
ところが、今日
加能民俗の総会のため金沢へ向かう途中、
柳田・気多の間の海浜道路を走っていると、
いつもの宝達が左手に見える光景とは、
ちょっと違う光景に出くわした。
宝達のやや右手、
遠景に白山が見えたのである。
待てよ…。
柳田ICで降り、
大己貴像石神社へ向かった。
やはり
社殿と鳥居を結ぶ先に道があり、そのラインは白山に向かっているではないか…。
今まで、一度も白山を望める日にぶつからなかったために、
視野に入っていた宝達に向いていると思いこみ
疑わなかったのだ。
この道の先の森の上方に白山があるのだが、
写真が下手で白山は空と同じ色になってしまっている。
となると…
両随身の間に宝達山があったはずの
気多随神門(随身門)を目指した。
こちらは目に焼き付いていたとおり、
真っ正面に宝達山山頂があった。
それにしても
大己貴像石社が白山を意識していたとは…
地震石と白山は
何か関係があるのだろうか…
加能民俗の発表は、
白山末社とも見られてきた佐那武(さなたけ)社の様々な姿を追求する
鋭い発表だった(発表者、鏑木紀彦氏)。
出かけるまでは
寒いしコタツにもぐっていよう、
兼六園の坂で雪に滑って転がるのじゃないか
ようやくはじめだしたガイドの資料本作業を進めた方がいいのじゃないか…
などを思いぐじぐじしていたのだが、
本屋で『嬉遊笑覧』を見てこよう、
こんなにコタツ生活ばかりだとカビが生える
たまに人に会うのも大事…
一応副会長だろう…
のひとりごとに後押しされ
気力を振り絞って出かけた。
そしたら、白山の遥拝所としての大己貴社に
気づいたのだから
分からないものだ。
ひょっとしたら…
会えるかも知れないと思っていた
5名は来ていなかった。
本屋も寄らずに帰った。