「霜柱氷の梁に…」『嬉遊笑覧』など文献資料

秘歌などで知られる「霜柱…」の歌は、下句が「露のふき草」であることが多く、それに対し、
能登の宝立(宝立)・羽咋、中島などに伝わっているのは「水垂木かな」であることを先日5日のブログ上で確かめた。


特に鵜島酒屋家の和歌が著名で、『能登志徴』はじめ、
全国的な書物である『嬉遊笑覧』に載る。


以下それらを転記する。

能登志徴』下編

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当該部分。昭和13年発行
能登誌の引用が「しみ柱」となっている。
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藩政期の能登の紀行文に載る和歌は
このように、ほぼ整理した。


能登誌と同じ『能登名跡志』では「霜柱」となっており、
「しみ柱」ではない。

『嬉遊笑覧』の内表紙

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『日本随筆大成』第二期別巻上。昭和4年
第二期は教員になり立ての頃に再刊され購入した。
ただ、別巻は注文してなくて今回は図書館から借りた。
『嬉遊笑覧』は、文政13年(1830)に喜多村信節がまとめた百科事典。


この本の56p、「逆柱」のところに
「又火災を避る歌とて傅ふる
 霜柱氷の垂木雪の桁雨の棟木に露の葺草
といへるは紀逸が(雑語抄)に
能登國鴉島の何某が家は九百年来に及ふといへりかの棟札に云々
弘法大師の御筆のよしにて火防の歌とて
人々用ひ来れりと有り時代もしらぬ人の傅へなり」
とある。


鵜島が鴉島となっており、下句が「露の葺き草」系で伝わっているが、
酒屋家の伝承は広く知られていたようである。


前回→霜柱氷の梁に…