重要無形民俗文化財に答申ー「能登の揚浜式製塩の技術」18日
18日文部科学相に答申された。
石川県では
「奥能登のあえのこと」
「尾口のでくまわし」
「能登のアマメハギ」
「熊甲二十日祭の枠旗行事」
「青柏祭の曳山行事」
「気多の鵜祭りの習俗」
についで7件目。
平成4年の県指定に向け伝承者・角花菊太郎氏のところへ随分通い、
戦時中多くの友が南方戦線に送り出される中で、
後方支援として塩生産を軍命令で行ったことが、
どんな苦難があっても塩作りを続けさせたエネルギーになっていた
とのお話しをまとめたり、
履歴を作成したり、
指定申請書も含めた9枚の資料も作成した。
その頃は市の文化財保護審議委員としてはつらつと動き回っていた。
すでに保護審議委員は過去の世界となっているが、色々思いだしている。
揚浜塩田に関しては様々なデーターがある中で、夏休みの宿題のため、あの頃何日も泊まり込んで写真撮影を行った静岡の中学生の連続写真が出色のものだった。
その写真も含め、集めたデーターを何とかしておかなくてはならない。
重要無形民俗文化財コーナーあたりが、図書館などにあればいい、
のだがなぁ。
平成3年(1991)の答申理由にはこのように書いた。
その後、専売制が無くなったり、塩田村が出来たり
塩を取り巻く環境はずいぶん変わった。
そのころの角花家と菊太郎氏。右の方は現当主・豊氏