『蛸島の移り変わり』『鈴木大拙未公開書簡』

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永松関著『蛸島の移り変わり』1977(昭和52)年11月刊
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この間に生じた疑問を確かめるため、古本屋から手に入れた。
1989(昭和64)年刊行の本である。

9通の珠洲発書簡が載っている。
1,明治21年7月1日「能登珠洲蛸島十ノ四十七番地」
2,7月19日「珠洲蛸島村十ノ47」
3,7月27日「能登珠洲蛸島村十ノ四十七番地」
4,9月11日 なし
5,9月28日「珠洲蛸島村十ノ部三十八番地」
6,10月6日「珠洲蛸島村」
7,11月13日「能登国珠洲蛸島村十ノ部三十八番地 畠山方」
8、12月9日「能登珠洲郡飯田町 富田久太郎方奇寓」
9,12月28日「[ ]田町十四ノ十三」
以上がすべての住所である。

明治初期には飯田町14ノ13に茶木増太郎という人が同居している(「西勝寺門徒名簿」)。
茶木屋は旧家だった。

ところで、蛸島の部が十になっている。
橋本さんもそこからたどられ、最初は十部にあたる蛸島の山の中の地をイメージされたようだ。
私は畠山家だけを考えていたので、旧家の畠山をたどり、その番地を見たらナ部だったので最初かナノ38、海沿いに貞太郎がいたと考えていた。

今、本を購入して、上野家、番地の翻刻と二つの障碍があったことがわかった。
 
どうであれ珠洲では大拙がどこにいたのかが明らかになっていけばいい。