「済度される鬼神ー続き因縁の世界ー」『説話論集』第16集を巡る話題

「済度される鬼神ー続き因縁の世界ー」を通して、感動的な反応があった。
まず、引用した「御国政ニ付申上候帳冊」が天保5年(1834)に村松標左衛門によって上申された事が分かった。
長山直治さんからのご指摘である。


天明大火と歓喜光院御崇敬(かんぎこういんでんごそっきょう)に目が奪われ忘れがちになっているが、文政6年火災と両堂復興気運の中で末寺近辺は逆境をエネルギーに換え仏事その他の盛り上がったことが想像される。
祠堂経・説教・ご示談が盛んに行われていたのはその頃だったのである。年号が分かったことによりこの資料の面白さが広がっていく。


もう一つは塩谷菊美さんから。
能登の先端でやるべき事が見えてくるような励ましと勇気を頂いた。
それとは別に「真宗の説教は一文不通でもわかるというけれども、実は難しい四字熟語が飛び交い、幼少期からの継続した学習の場を持たぬ者には到底理解できない」、真宗からさえ見放されている者が次々と生まれているのではないか…との問いかけには、ガーンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
目から鱗だ。一人も洩らさぬ救いは、どんな人にもそのいわれが届かなければならない。
当たり前のことなのに、深く考えたことがなかった。


難しい言葉を辞典で調べ、その説明に出てくる新たな難しい語句を調べ…に汲々し、
高校教員だったので、中学校から頼まれた講演にはどのように話していいか分からなかった、などとうそぶいていたのだから、
最も真宗が目指す世界と遠いところにあることに気づくはずもなかった…。

 
いやぁー…!!
よーし。