聖人の里ー日野家の荘園若山荘と燈籠山祭り

当寺の近くに春日神社がある。
若山荘は本家九条家、領家が親鸞聖人のお里日野家の荘園だった。


蓮如上人が吉崎に居を構えられたときには、
得度するとき「兼寿」の「兼」一文字をいただいた、烏帽子親、あれ…名が出てこない。兼郷……そうそう、広橋兼郷も終末期の若山荘を支配している。


吉崎の背後の能登に父親の大きな荘園があったのだから、上人の吉崎においでになったいきさつについては、この線からも考えてみなければならない。
その若山荘関係の神社が、春日神社だ。


燈籠山祭りは、20日によばれ、21日は町の人々の祭りとなる。
巡行は20日が翌朝1時頃まで、21日は翌朝5時半頃になる。どちらも午後3時頃から引き出すのだから、長時間の綱引きと、ヤッサーヤッサーと声を振り絞るだけ振り絞るのだから、子供の頃に、のどと体力が、相当祭りによって鍛えられたのではないかと思っている。
昔はお寺の庭で山車を組み立て、庫裏で踊りの練習が一ヶ月前あたりから行われた。
寺の子は、笛・太鼓、踊りに加わるなどの主役ラインには混じらなかったが、山車引きには、飯田高校の教員をしていて、生徒と夜中に交わるのがはばかれるかな…と感じ出す頃まで、ずーと出て引っ張った。
今年は、静かに、と思っていても、夜はやしが聞こえてくると、ズルズルと体が自然に動いたのである。


飯田の山車は、特色がいくつかあるが、祇園囃子が素晴らしい。笛・太鼓・鉦の演奏が、8台の山車が過ぎゆくまで続く。

家の後ろの通りを、なんと、燈籠山通りという。
私は城山通りがいいのでは、と思っていたのだが、誰も相談にもこなかったし、いつの間にかそうなっていた。

神社からその通りを通り、町の方に出ていく間、祭り囃子がこだまする。
つい、カメラを持って…覗きに行った。
雨模様で、ビニールをかぶせて山車を引いている。
夜になると多くの人が山車に繋がるはずなのだが…。空模様が気になるところだ。
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昨日の「よばれ」(饗応)の料理作りに、三つ葉と山椒を蚊に刺されながら取ってきた。氷を少し割った。お客さんが来たとき、カツの油を見ていた。
15,6名のよばれのお客さんが帰ったあと、流しまでお皿などを運んだ。
腰が痛かった。
それぐらいしか手伝わなかったのだが、体重と年に比例して随分動きが鈍くなっている。
 

明日の坊守会の予習をしなければならないのに、頭がボーとしていて、気合いが入らない。
今朝、来週、輪島で行われるシンポのレジメをやっと送り、真宗講座の復習から始めてみる。
もう、夕方5時だ。ボーッはおさまらない。

6月末から、半分修練 (住職の資格を取る過程で、一週間泊まりがけの研修が2回ある。それを修練という) みたいな、充実した日々があったのだが、それが、ぽこっと途切れたので、頭の奥底から、自分の問いとして、呼び戻さないとならない。
そこへ至るまでの距離が遠い…?
それとも、昨日の飲み過ぎ…。ウーム、ム。