真宗講座ー御講師日野氏

昨日、御講師日野氏を迎えに、11時40分頃に飯田バス停前に立った。
50分着のはずのバスが来ない。
バスを洗っている方に聞いた。
あれェゴエンジュサン(御院主さん。和尚さん、方丈さんなどと同様、真宗の住職の呼び名となった)とおっしゃりながら、時間が変わったことを教えてくださる。
その方と、世間話をしながらバスを待つ。

 
日野講師は、
「世尊我一心」と「末代無知」のお文が同じ。
それをお書きになったのが、「三業惑乱」問題がお東に入ろうとするのを防がれた、御講師だった。
とか、


時間の違うものは、すなわち、どうなるか分からない先のことを語るのは仏教ではない。
「たとひ罪業は深重なりといへども」

「弥陀如来は救いまします」
の間に「必ず」があることによって、この「お文」は仏教になった。

などなど、ものすごいことをお話しなさった。



金沢まで、送らなくてはならない (時としてぞんざいな表現になるのは、年が同じだからで、許して貰いたい)。
出会えぬお話しを聞くのも大事だが、寝不足で運転を誤ってはいけない。
申し訳ないが、隣の部屋でウトウトさせてもらおうと思っていたのに、
ハハァ!と目が覚めてしまった。


食事の時間、講演、車の中、師匠のお寺の庭、金沢のホテルの夕食時、と
深い内容のお話し、次々出てくる講師名、知らない布教の方々などのお名前・エピソード…
それらは、私の許容範囲をはるかに越えていたようだ。

今は、勿体ない話をいっぱい聞いた、としか思い出せない。
欲張ってしまった。
過ぎたるは及ばざるがごとし、
を実感した、昨日の一日だった。


今日は金沢でお墓参りをし、
蓮如上人がこの地なら教えを広めたい と切望されたのではないかと思われる原風景の地…、
河北潟沿岸コースを辿り、珠洲へ帰り、
2時から、市年金者追悼会を5人の僧侶で営み、


話を聞きに窺ってもいいですか、と、12時頃に電話がかかっていたNHKのディレクターさんのお相手を、3時半から6時までして、

この、いっぱい情報が入ってきた、激動とでもいうべき2日間を反芻しながら書いている。


ディレクターさんとのお話しも、
どうも、お聞きにお出でたはずなのに、逆に聞いてくださる方がいることが嬉しくて、
語ることに熱心になってしまったという感じだ。
ディレクターさんに対して、そこまで勉強なさっているのか、
それなら…と次々に知っていることを出していき、その背景までクドクドしゃべってしまう。


日野講師も、次々と、聞いたこともない人や、読んでいるはずもないお聖教のことを語られたのは、
ひょっとして、分かっているかのような、うなずき方を、私がしていたのかも知れない。
半分以上、分かっていなかったのに…



日野講師は、パソコンはやらないということなので、
もし、これをお読みになり、日野と出合う機会がある方がおいでたら、


日野さん…!。
珠洲で西山という本だけいっぱい持っているお坊さんのところへいって、お話しなされたことがあったでしょう。
あの時、彼は頷いていたかも分かりませんが半分以上ちんぷんかんぷんだったんですって…


自分でそれを告白する元気もないので、
だれかー伝えてくれと、ブログに書いていたので、伝えておきます。


と是非、お願いします。


今度、会うときには、いい格好はせずともせめて6割ぐらいは理解できるよう、
勉強しておこう。