まとまった文、書き直しの多い文 、サンマイのミツマタ、墓松

日本宗教民俗学会で本を売っておられた「法藏館」の戸城編集者に、
その本の書評書きましたよ、と書評をコピーしたの(真宗文化研究所編「日本史の中の女性と仏教」書評「宗教民俗研究」第10号・日本宗教民俗学会刊 )と、
西山さんの質問よかったですよ、といわれたので、気をよくし、
質問の原典である『能登国三十三観音のたび』、
それに五来先生の思い出を書いた「山から海へ…ー現代の験者」(「『北國文華』第11号・北國新聞社刊」)を
お送りした。


その返事が届いた。
文に乱れがなく、直しのない文字が便せん2枚半にしたためられている。
字もうまい。
まず、これで充分感動。
私が手紙を書くと、主語が抜けたり、文の途中で話が違う方向に行って主語・述語が呼応しなかったり、
第1回目の校正みたいな便せんになってしまう。


こんなにチャンとしたお手紙を書ける人がいるのだ。
世の中広い、と思った。


その一方で、
昔から、こんなに直しを入れないと手紙にならなかったのだろうか?と考えてみた。
字の上手・下手はおいといて、
ある程度、乱れがなく、書けたような気がする。
どうもパソコンで、すぐ直しを入れる書き方に馴れすぎ雑になってしまったようだ。


そのうち、講演でのお話しそのままが原稿になってしまう人がいるなぁー
と、思いは別な方に移っていった。
私の出会った中で、その最たる人が、網野先生だった。


学会の研究発表で、原稿をお読みになる方がいる。
質疑を受け、直すべき所は直し、そうでなければそのまま活字にするのだろう、
と思って聞いてきた。
いうまでもなく、原稿化すれば、欠点や論旨の乱れに気づくのだから、
発表者の態度としては、そうするのが最善だ、と思う。


それを、繰り返し、繰り返しやっていれば、
そのまま原稿になるような「語り」口調になるのだろうか。
それとも、
方向音痴とそうでない人がいるように、
持って生まれた才能なのだろうか。
今度、網野先生の奥さんとお会いするから、
先生の若いときは、どのように発表なさっていましたか?
と聞いてみよう…。


などなど、


本の背表紙に紫外線除けのテープを貼りながら、
とりとめもなく思いを巡らしていた。


真宗関係のテープ貼りは大体終わったので、
民俗関係に移り、小倉学著作集の背表紙テープ貼りの前に、目次を見た。

葬制資料「サンマイのミツマタ

そこに「サンマイのミツマタ」という論があるのを見つけた。


この前の学会で、「真宗門徒の葬送儀礼ー無墓制・葬上植樹・骨掛け習俗との関連からー」の発表があったが、
読んでみると、同じエリアに「ミツマタ」があるというのである。


ミツマタは、無墓制( 愛知川〈えちがわ〉沿いの無墓石、東郷湖の無墓所があるのだから、無墓制の概念はさらにいくつかに分類しないと概念が曖昧なままになる、、が、これはおいておいて… )、
無墓石、葬上植樹=墓松の間に位置するようだ。

あるいは、梢付塔婆〈うれつきとうば〉、墓松、ミツマタを考えることによって、
ハカの概念がかなりはっきりしてくるのではないか…とも思えた。


発表者の引用文献を見ると、
この論が入っていない。
もし、知らないとすると、もったいない。

町野地区で聞いた「墓松」

また、墓松=墓上植樹は、ほとんどが津幡・羽咋の例の報告であるが、
ついこの前(17日)、輪島市町野地区で、
お寺を直すときに「墓松」を用いた、
という話を聞いた。
前々から考えていたのだが、加賀藩には「七木の締まり制度」があって、
松などは無闇に切り出せなかった。
そういう中で、墓地の松は規制外だったのではないか?


それで、墓に松を植え、寺院の改修の折に用いたのでは?
この考え、というか、もっと広い範囲で「ハカマツ」なる語が用いられていた…
ことも、お伝えしたい。

ところが、葉書を捜すのだが、見つからない。

整理整頓は大切だ。
だが、必要なときに見あたらないのでは、困る。


そうこうしているうちに、この話自体を忘れてしまうかも知れない。
それで、ここに記しておけば、思い出すこともあるだろう、
と記した。


おーい、葉書!