日本宗教民俗学会前後

10日(土)京都の大谷大学で「日本宗教民俗学会」年会があった。
研究発表をするのは、
1999年4月29日に東京墨田区曳舟文化センターで行われた「日本民俗学会満50年記念事業公開シンポジューム〈老い〉ーその豊かさを求めてー」に、
「共同体におけるお年寄り」( のち、『老熟の力』早稲田大学出版部に所収 )と題して発表して以来のことである。
あの時は、記念大会だったので、
発表に対して侃々諤々やるーいわゆる一般の研究発表とは様子を異にしていた。


今回は、研究発表である。
打診があったとき、発表しますといってはいたものの、
何が起きるか分からない。
加能民俗にさえ(この場合の「さえ」は距離的に、の意味)発表しないのに、
何でまた京都で?…なのだが、
この会の委員ということになっており、
時々肩書きを使わせて貰った恩義がある。
しかも、テーマーが「新しい宗教民俗論の構築ー真宗と民俗の再検討ー」。
私の著書に『蓮如真宗行事ー能登の宗教民俗ー』があって、
真宗」「宗教民俗」と2つの単語がダブっているのだ。
避けられない。


その日、特別な用事も入らず、会に参加してきた。
年会は、討論・講演も入れて、10時から午後5時半までビッチリ。
その後、懇親会。
発表者は7名。
博士課程の学生が一人、あと、私以外は大学の教員。


法藏館岩田書院さんが本を並べていた。
岩田書院岩田博さんが若かった。
つい「岩田博さんなの?」
と聞いてしまった。
真宗」3月号に写っていた草野顕之文学部長は、
写真では随分貫禄がついたように見えていたのだが、
今度お会いしたら颯爽と若い。
司会の木場教授も若い。


老けたのはオレだけなのだろうか?
そう、
ある時を境に、
一気に老けるのだ…。


それにしちゃ、
講演をなさった大桑斉先生も
溌剌としておられ若かった。


そうなのだ、
一人
一人なのだ…。


2つの出版社が並べている本の著者が
会場を出入りしている。
カメラを持ってくればよかった。
著書の横に立ってもらって、パチリ。


想像するだけで楽しい。
 

特に学術書には顔写真が入っておらず、
名のみが飛び交っているケースが多い。
この日、この人が?
…あの本の…、と、
数名合致した。


ともあれ、このような日程だったので、2泊せざるを得なかった。


車のことを考えると、金沢に泊まるしかない。
宿を決めてから、奈良薬師寺書写山、京都古本屋などがチラチラ浮かんだが、
たどり着くまでにへばるだろう…、
古本も衝動買いしてもどうせ読まない…
とあっさりあきらめ、9日は金沢の本屋巡りをした。
その1軒の古本屋で「鹿島郡誌」に出会ってしまった。
購入…ムムムム。


10日7時1分のサンダーバードで偶然石川県立歴史博物館の大門氏と座席が斜め同士。
話ながら京都へ。
四条烏丸で別れ、ヒョイと横を見ると県職の従兄弟が座っている。
昔サウナに泊まり、明け方横を見ると彼がいたことがあった。
彼は同志社出身で、学生時代、マイナーな喫茶店でも出会ったことがあった。
行動パターンが似ているのだろう。


11日は、3月19日のブログで触れた、高梨一美さんの実家を訪ね、
心の中で手を合わせ、お父さんに『能登国三十三観音のたび』をお渡しした。
高梨一美さん高梨一美さんの著書


その後、20歳の頃、一時期下宿していた家を探し求め、たどり着いた。
西泉というところにお家があったが、下宿していた頃は野町のはずだった。
そのことは確かめられたが、なぜ、このお宅に下宿したのか?は、
分からずじまいだった。


この日、門前広岡満覚寺の説教大会に節談説教の研究家関山和夫氏が挨拶なさり、
能登では葬制等の研究家・新谷尚紀氏が講演をなさったらしい。


多くの研究者に出会い、
うわさを聞き、
思い出の場所もたどった。


情報過多状態で、
ラクラしている。