ダムに沈んだ木偶(でく)舞わしの里

ダムに沈む徳山村の増山さんのあと、花粉との関わりで、人のいない旧友貞家地内にも触れた。
よく似たことで思い出したのは白山麓
尾口の「木偶<でく>舞わし」を、加能民俗の会で鑑賞したことがあった。


手取川上流に、昭和54年6月に貯水を開始した巨大ロックフィルダムが出来、
尾口村の五味島・釜谷・深瀬・鴇ヶ谷もダムに沈んだ。
そして、下流の鶴来付近の平野部に深瀬新村が出来、そこの公民館( だったと思う )で深瀬に伝わっていた「木偶舞わし」が上演されたのだった。
それを、見に行った。
どこかで、エールを送る気持ちを抱きながらの見学…。そんな記憶がある。


白峰も桑島・下田原が水没した。


かつて白峰を訪ねたとき、大きなダムがあり、人工湖の傍らの道やトンネルをくぐって白峰についたという印象があった。
だから、ダムの名は白峰ダムだと思いこんでいた。


手取川ダムだと知ったのは、つい最近の事である。
ダムの名は運転しながら見ていたはずなのに、風景と同じように通り過ぎていただけらしい。


珠洲には最初の白山末社三社の内、雲津<もず>白山があり、法住寺の白山は、建造物として国の重文である。
そういうこともあって、気分的には、白山麓が非常に近いような気分がある。


また、門前には、江戸時代・17世紀に白山麓の尾添・瀬戸村住民が移住してきた
山是清<やまこれきよ>、鑓川<やりかわ>という集落がある。
これは、天領になるのがイヤで加賀藩に残ろうとした人々だった、と伝わっている。
それも、親しみとなっている。


ダム以前からも集落の移動があり、直接の政策ではないのに、ゆるやかに人が住めなくなっていった集落がある。