タンカブサマ2000年の記事

2000年(平成12)11月6日(月)北國新聞朝刊の記事を紹介する。

[見出し]
「田の神」冬は山へ 山の神と深い結びつき 七尾で伝承の神事 仮説を裏付け
高山さん方で確認 西山市史専門委員「貴重な文化財
[本文]
「田の神と山の神の結びつきが具体的に伝承されている珍しい田の神神事が七尾市矢田町の高山志郎さん(60)方で、5日、行われた。
同市史専門委員の西山郷史さん(珠洲焼資料館館長)が伝承を確認したもので、
田の神神事は「あえのこと」神事など能登に広く伝わり、
仮説としては山の神との関連が指摘されていたものの、裏付けがなかっただけに、
貴重な無形文化財と見られている。
 
高山さん方で「たんかぶさん」として伝えられているのは、
田の神を迎えておはぎを供える神事で、毎年春は3月8日、
秋は11月8日前後に行われているが、今秋は休日の5日に行われた。
伝承によると、田の神が子供を連れて、七尾市の城山に帰るとされており、
西山さんは「田の神と山の神の交代を示す具体的な言い伝えはこれまで発掘されておらず、大変珍しい。冬も神棚でなく、山に帰るのも珍しい」と話している。

春の神事では、田に水を張るため「水戸<みと>」を閉める作業について、
「神の子供が流されないように水戸を閉めなくてはならない」と言い伝えられていることについても、
西山さんは「農作業と民俗信仰のつながりを示す例として貴重だ」としている。
この日は、高山さん方で、家族らがそろって新米を貯蔵する藏で秋の神事を行い、
一升枡<ます>に盛ったおはぎを米びつの上に供えた。
高山さんは「田に流れる水は、城山が源流と聞く。稲作にとって貴重な水に神が宿ると先祖が考えたのではないか。
これからも受け継いでいきたい」と話している。」



それから13日後の11月19日。
「質問ニュースいしかわ」のコーナーに
能登の「田の神」って?」との質問、
それに解答する形での記事が載った。
見出しは「土地の恵みに感謝する信仰」。
答えるているのは私となっているが、
わかりやすい記事内容は、七尾支局の記者の方が書いておられる。
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2000年(平成12)11月19日


そして今日の記事だ。
あれから5年半。元気で高山さんは、今年も行事を執行なさったことを知った。


付け加えれば、この行事はずーーと「タンカブ」で書いている。
田の神より、むしろ、大きな田の株を意識し、
大きな株となることの期待が強い予祝行事である。

この行事に関しては『図説七尾の歴史と文化』『能登のくにー半島の風土と歴史ー』p53に書いた。


『新修七尾市史13民俗編』(平成15年刊)には写真は載っているが、
本文のどこに記載されているのかわからない。
 

2008年1月21日追記

志郎さんは2007(平成19)年12月、淨土に還られた。