春勧化(はるがんけ)ー節談説教を育てた場ー

聖人一流の御勧化のおもむきは、
信心をもって本とせられ候う。
そのゆえは、
もろもろの雑行をなげすてて、
一心に弥陀に帰命すれば、
不可思議の願力として、
仏のかたより往生は治定せしめたもう。
そのくらいを『一念発起入正定聚』とも釈し、
その上の称名念仏は、
如来わが往生をさだめたまいし、
御恩報尽の念仏と、
こころうべきなり。
あなかしこ、あなかしこ。

蓮如上人作「お文」第5帖10通目で知られる「勧化」。
その春勧化が行われている。

当寺では21日から28日。
夜は在所へ出て「お座」がもたれる。
お説教のお客さんは経森伸昭(つねもりしんしょう)師。
キシッと随行修業時代を経た、
能登節談を継承する
名説教師である。

勧化の説明をすると長くなるので、
『大系日本歴史と芸能 第5巻 民衆宗教の展開 踊る人々』
(平凡社:1991:平成3刊)に書いた、出だし部分を引用する。


タイトルは「節談説教の風土」。

能登の春勧化
北からの風が海辺の松を揺るがし、岩にあたって砕ける波が細かくチギッた綿のように舞い狂っている雪深い海辺の道を、
一人の僧侶と老人が背をかがめて歩いていく。
ここは能登半島先端の珠洲市三崎町本村から雲津〈もず〉に向かう道である。
2月には近郷の各地で『春勧化』が勤められる。
本村にある真宗大谷派光楽寺の『春勧化』は、
2月3日から28日にかけて行われ( 平成18年度・今年度は23日から28日ー西山註 )
17日までは寺が、それ以後は在所の有志門徒宅が交替に『お座』の場となる。
今日は17日。
先ほどの光景は、寺へ迎えに来た最初のお座宿の当主と、
『お客さん』と呼ばれる布教僧( 説教者 )がお座宿に向かうところである。
27日までの間、雲津から小泊・伏見、さらに小泊地区へと座を移し、
最後の宿を勤めた家の当主が、ふたたび僧を寺へ送っていく。
お座宿では、日中のお参り、翌朝のお朝事を勤め、
それから次の宿へ移ることになっていた。
28日は浄土真宗の開祖親鸞聖人の命日にあたり( 本願寺派は16日 )、
寺々の多くはこの日を『春勧化』の満座にしている。
光楽寺では『お講始め』もこの日に行われ、1ヶ月近くの仏事が終了する。
近年は期間が短縮され、車での移動も多くなったものの、
昭和30年代までは、お座宿の主人に迎えられ、衣の裾をはしょって雪道を歩く僧の姿が、
冬の風物詩の一つとなっていた。
『春勧化』といっても、形態はさまざまである。
開基が『鬼界島の辺鄙に隠遁して』( 等覚寺縁起 )」寺庵を建てたと記される珠洲市最先端の川浦町等覚寺では、現在も2月中1ヶ月の『春勧化』を行い(現在は短縮ー同)、
市の中心部飯田町西勝寺( 筆者の寺庵ー同 )では21日から28日までの8日間、
隣の野々江町と飯田町・上戸町の各区で『町内お座』を行う。
等覚寺では、この期間中、
門徒家の命日にあたる日に寺へお参りに行く習慣のようなものが出来あがっており、
西勝寺の場合は、日中は寺、夜は門徒宅でお座が営まれる。
町内お座になると、普段お参りに縁のない人も、近所のよしみで「仁義参り」をする。
外の寒さが厳しければ厳しいほど、仏間・座敷続きの部屋は暖かい。
暖かさにホーッとする気持ちと、人の寄り合いの和やかさの中、
御院主さん( 住職 )の調声〈ちょうしょう〉で「正信偈」〈しょうしんげ〉を唱和し、
節づけで読まれる御消息を拝聴する。
お座の主役は『お客さん』で、2座の説教があり、
ありがたい場面や、うなずかれるところでは、
抑揚のある『受け念仏』が自然と口から溢れ出る。
説教僧は、一席約40分の説教を、この日だけで4席、
西勝寺の『春勧化』だけでも30席ほど語ることになる。
節談説教の伝統的習得法である、師に随行しながら説教を学んだある僧が、
能登節談は、能登の長い期間のお参りによって育てられてきた。
何とか参詣者をの数を減らすまい減らすまい、
と説教にみがきをかけてきた』と述懐されたが、
数多くの名説教者を生み育てた背景には、
この『春勧化』をはじめ、
やはり1ヶ月にわたって営まれた、田休み期の『祠堂経( 永代経とも。2期に分ける場合は後半を別経という )』、
暮れの報恩講( 1週間 )などの長い期間のお参りがあり、
お参りごとに欠かさず足を運んだ門徒・同行衆の姿があった。
また、説教者は、そういう聞法の人々を育て、
お互いの相乗効果によって
真宗王国』と呼ばれる地にふさわしい名説教者を次々に生み出したのである。

以下、次の項目での文が続く。
真宗王国」
「仏事の広がりと『御示談』」
「寺と娯楽」
「節談説教」
「節談前史ー親鸞の和讃と伝説」
蓮如の布教」
「説教の素材ー『肉付きの面』と『長太ムジナ』」
「節談説教の流れ」
能登節談の今後」

ところで、この本には、多くの説教師の名を挙げたにもかかわらず、
経森師の名を挙げていなかった。
この文章を書く段階で、
聞き取りした方からその名が出なかったのである。
経森師と出会ったのは、その後のことだった。
今、連日お説教を聞きながら、経森師の節(ふし)説教に、
ウーンとうなっている。
そして、気づかずにいたうかつさを反省しつつ、
能登の奥深さ・広さに、
またまた、うなっている。
春勧化ーお説教から
まもなく春勧化
春勧化