能登を冠するガイドブック

最近は見ないのだなァ。
能登」から始まる観光ガイドブック…。
この手の本と関係がないので気づいてないのかも知れないのだが、
本屋さんを回っている範囲では、
「金沢・能登・加賀」とか、「北陸……」「加賀…」「金沢…」で始まるものばかり。
HPで調べても、「能登」からのタイトルは釣りの本関係以外はなさそうだ。

能登から始まる観光ガイドブックが出版されていたことさえ、
忘れ去られているかも知れない。
 

それで、本箱の片隅にあった想いでのガイドブックを紹介する。
これらの本は、色々な種類で刊行されたに違いない。
偶然残っていたものによる限られた紹介になる。


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ブルーガイドブックス7 能登半島・金沢 北陸温泉郷・白山』。
昭和40(1965)年3月、実業の日本社刊。当時250円。
後書きによると、能登最初のガイドブックらしい。
丸40年前のことになる。
著者が写真入りで紹介されている。
「新保辰三郎。1904年金沢生まれ。石川県の観光事業にたずさわって10年、現在県観光連盟事務局長。
能登の紹介に努力している。
 新保千代子。辰三郎夫人・室生犀星の研究家、本書では金沢方面を執筆した。」

 読み物としても充実している。貴重な本なのかも知れない。


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能登と北陸 カラー旅8』
主婦と生活社カラー旅シリーズ14巻の1冊。
昭和43(1968)年刊。執筆陣は23名。480円。
私が名を知っている方は、深田久彌、宮尾しげお、添田知道(こういうところでも書いているのだ)、
桑田忠親津村節子、日沼倫太郎など。
幅広い執筆陣。


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能登・北陸・若狭 アルパインガイド12』
昭和54(1979)年度版。山と渓谷社刊。
やはり著者が写真入りで紹介されている。
「金子健樹 …金沢で月刊タウン誌『オアシス』を創刊し、編集長となる。現在は同代表。…」600円。

この本に載っている旅館の例を飯田温泉(珠洲市飯田町)で見ると6軒ある。
現在営業を続けているのは2軒。


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能登半島 珠洲市の旅』。
能登半島が最初にあるのでリストに挙げた。
昭和41年3月珠洲市観光協会刊。
後書きに「単なる辺地の観光地を紹介するのみではなく、伝統や歴史的な成り立ち、数多い風俗と云ったものをねらっています。…」
3回目の発刊で、写真を多くして親しめるものにしたつもりだとも書いてある。
B6、本文76pの小冊子だが、10pの活字では100ページを越える冊子となる。


この4冊を眺めただけでも。様々な感慨が湧いてくる。
最初の本が生まれたのは、戦後生まれが20歳になろうとしている頃だ。
その頃は多くの若者が旅に出た。
青少年宿泊所、ユースホステル、テントを抱え…彼らは旅をした。

間もなく、高度成長につながるモーレツ社員、子育て、マイホームで疲れを癒し、また働きづくめの日々の繰り返し、などで、
旅に出る人々は急激に減っていった。
その後は、豊かさを確かめるため、夢の夢だった海外旅行に出かける人が増えた。

 
その間に、観光地がすべきだったことは、珠洲市の旅のような本を継続してだしていくことだった。
例えば、奥能登ー門前・穴水・輪島・柳田・能都・内浦・珠洲がそれぞれに同じような本を作り、
5年ごとに改訂していく作業を続けていたならば…。
その中で地域の新たな魅力を見いだし、冊子の中で発信することが出来ていたならば…。


能登の絵はがきは、この時期とほとんど変わっていない。


少なくとも、奥能登が1つになって情報を提供していかないと、
能登の名が小見出しになっていってしまう…
と心配し、焦っているのは私だけではあるまい…。
 
 
おっと忘れるところだった。表紙の写真。
最初の本は、穴水湾(七尾北湾)の「ボラ待ち櫓」
櫓のすぐ前に伝馬船があり海水パンツを履いた少年が櫓を漕いでいる。
舟に飛び移ろうとしている少年が二人写っている。
珍しい写真だ。


次は、曽々木海岸窓岩。
義経伝説、岩倉比古神の依代伝承などがある。


その次は、輪島市名舟町の御神事太鼓。
サンダル履きの女性が神事太鼓を叩くことはありえないが…。


最後は能登二見。
山伏山の麓。朝日夕陽に照らされる二見は絶景。
多くの地でキャンプをしたが、ここの景色は印象に残っている。
いい自然資源だが、やや不便。
昔は、祭礼には、この二見から山伏山山頂まで神輿を担いで上がったそうだ。