能登を冠する本ー民話・伝説・観光ガイドー

6冊目の解説を書き終え、
三右衛門関係のホームページとアクセスできるようにクリックしたら
全部消えてしまった。
ウーム。気を取り直して……。
       

[解説]
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能登志賀町の昔話・伝説集」
写真の本は、志賀町史紀要第3輯として昭和51年(1976)に刊行された。
同時に刊行した同内容の本に石川県郷土資料館紀要第7号がある。

すなわち、調査の概要に「口〈くち〉能登口頭伝承調査は羽咋郡志賀町の協力のもとに、
昭和50年度の石川県郷土資料館調査研究事業として実施したもので」、
当時刊行中だった志賀町史の編さん室長は、加能民俗の会会員の室矢幹夫氏だった。
調査主任は小倉学氏で、加能民俗の会員数名が協力している。
県と町が協力し合い、一方は調査報告書として予算内での部数発行、
一方は町史の一部として表紙を替えて刊行した。
そのため、関心のある多くの人々の手に行き渡ったわけで、
その流れを知るだけでも暖かみが伝わる本である。
ここに採取されている話の一つに「長太ムジナ」があり、ある地域でその話が特に多かった。
あとで、事情を調べたところ、
その地区の真宗寺院の説教で、
「長太ムジナ」が語られ、
その後、間もなくこの調査が始まったのだった。


民話・伝説の伝播の有り様を物語る話なので付け加えておく。


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能登富来町昔話集」
福田晃氏指導の元、立命館大学説話文学研究会が昭和51年、52年に行った調査報告書。
昭和53年(1978)富来町教育委員会刊。
富来町史編さん室長だった桜井甚一氏や富来町教育委員会の全面的な協力で完成している。
その意味では、富来町史別冊の性格を有する。
「来年のことを言うと鬼が笑う」など、
他では報告されることのなかったユニークな話や伝説が多く採録された。


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能登鳥屋町の昔話伝説集」
平成7年(1995)、鳥屋町教育委員会刊。
藤島秀隆氏の指導の元で、文化財保護活動の一環として編まれた。


以上三冊は似た形の本であるが、形となるまでの経過はそれぞれ違っている。
様々なエネルギーが能登を舞台に花開いた、そんな印象を受ける。


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「奥能登地方昔話集」國學院大學民俗文樂研究會の紀要「伝承文藝 第八号」である。
教授・臼田甚五郎と助教授・野村純一指導の元で調査が行われ、
昭和46年(1971)に600部刊行された一冊。
三右衛門〈サンニョモン〉話、滝の坊話などに惹かれた当時4年生の大島広志氏、
一年生だった常光徹氏たちはその後も聞き取りを続け、5年後に一冊の本を纏める。
それが次の本である。


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能登の昔話 三右衛門話』臼田甚五郎監修、大島広志・常光徹編。
昭和51年(1976)、桜楓社刊。
当時、大島は高校講師、常光は中学校教諭だった。
能登での民話との出会いが二人を育て、現在大島は東京家政大講師、民話と文学の会運営員などを勤め、
常光は国立歴史民俗博物館助教授として、それぞれ民話研究の牽引者となっている。


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能登珠洲の民話 引砂のさんにょもん』
平成15年、さんんにょもん保存会(会長濱田舜英氏)刊。
珠洲市青年会議所が立ち上げた。
現在、保存会では、お盆の頃を中心に「さんにょもん祭り」を開くなど活発な活動を続けている。
その一環として刊行された。
 

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能登の民話「嫁礁〈よめぐり〉」』。
山崎和恕〈かずひろ〉著。2002年近代文芸社刊。
筆者は星陵女子短大学長。
帯に「ローカルなものがインターナショナルなものへつながる予感。英語と中国語の対訳で読む方言の語り」とあるように、
珠洲岬沖の嫁礁の名の由来となった悲しい伝説を
珠洲弁、英語、中国語で紹介している。

例:出だし
「むかしのこっちゃが」
「0nce upon a time」
「很久很久以前」


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土産物売り場で見つけたもの。
発行表現社、編集:勝部恵子、さし絵:駒原みのり。



またまたやったミスのため夜も更けた…、観光ガイドは延期。