能登を冠する本ー韻文・小説・紀行編ー
『能登の荒磯』
水原秋桜子の紀行文と句。
表紙は平家の旗印のイメージ。
装丁・黒田桜の園。
昭和33(1958)年、発行者:梶井重雄、七尾市立図書館内新鵜発行所。
ハイヤーとジープでの能登紀行。
時忠の墳で詠んだ「その墓に手触れてかなし星月夜」が名高い。
則貞家は藁葺きでまだ電灯が引かれていないときの旅だった。
『句集 能登小春』
谷内田きみ子。筆者は珠洲市上戸町の人。
平成8年、橋本確文堂刊。
「満月に衿の飯粒見つけたり」。
師の千田一路氏には句集『能登荒磯』エッセイ『能登の細道』がある
→千田一路氏宅へ
この他、句集では『能登蒼し』前田普羅・昭和25(1950)年。
『能登』大森積翠・昭和37(1962)年。
『能登の蛙』古館曹人・昭和46(1971)年。
『能登日和』北野格・昭和63(1988)年。
歌集に
『能登』岡部文夫・昭和60(1985)年。
『能登往還』三井ゆき・平成8(1996)年。
奥能登も含めると、
『奥能登』高井隼治・昭和45(1970)年。
『奥能登 冬のあじさゐ』三田村章子。
詩集に
『能登』安水稔和・昭和37(1962)年などがある
(『軌跡・石川の近代文学』能登印刷出版部などを参考)。
『能登怪異譚』
半村良。
昭和62(1987)年。集英社刊。
この写真は1993年刊の文庫本のもの。
解説に
「世にも不思議な九つの物語が能登方言で物語られている。
方言による怪異譚集といえば、すぐに柳田国男の『遠野物語』が思い出されるが、
(中略)民俗学の研究書であって、厳密な意味での物語ではない。
この『能登怪異譚』にも、原型となる伝承はあったかもしれないが、それを物語に仕上げたのは、あくまでも作者自身である。
また、会話の部分に大阪弁や京都弁などの方言を使った小説はたくさんあるが、
この作品集のように語り口まで方言で統一したものは、
詩や戯曲を含めても、ほとんど前例がない。
私の知る限りでは、高木恭三氏の津軽方言詩集『まるめろ』ぐらいなものである。
(中略)津軽在住の高木氏と違って、半村氏は東京生まれの東京育ちなのだから、
これはもはや方法的冒険家の方法的な勝利を示すものといわなければならない。」
遠野物語が研究書?
方言詩集が一冊?
宮沢賢治の「アメユジュトテチテケンジャ…」は部分的方言なのか?
何よりも、東京生まれの東京育ちが能登弁を駆使して小説を書いたら、
誰に手ほどきを受けたのか考えなくちゃならない…と思うのだが…。
半村の母は能登町三波の人であり、
半村が母の実家に疎開していた頃、出会った本=『蔦葛木曽桟』(国枝史郎)が、
彼の伝奇小説家として大成していく中で、大いなる影響を与えたというのは、
調べあげられている。
(『ふるさと石川の文学』p244:水洞幸夫)。
東京育ちかも知れないが、家ではオッカーの能登弁が飛び交う日々であらしゃったに違いないげぞけ
(おっと、方言が乱れた)。
ところで私が読んだ本(研究書なんだろうが)には、母は三波の人としか書いてない。
細川たかしの出身地は釶内〈なたうち〉、
なかにし礼の母の珠洲(実際は旧珠洲郡)と同じくらい大雑把だ。
三波は藤波、波並、矢波地区の総称である。
もう一度「ところで」、
今日のTVに半村良作の『戦国自衛隊』を流していた。
これは見なくてはなるまいと、怖いところでは指の間から目を出し、
見呆けていたので、こんな時間になってしまった(今一時半)。
『能登の女』
山崎寿美子。1984年、新興出版社刊。
小説にはずばり『能登』がある。
杉森久英の自伝なので画像ではあげなかった。
他には、かつおきんや『能登のお池づくり』、
『能登のささ波』三代喜代一。
『能登はいらんかね』皆森礼子など。
かつおきんや以外は、読んでないので何とも言えないが、
歌のタイトルにもあった「能登はいらんかね」は、
最初聞いたときは何を言おうとしているのか分からなかった。
「能登の魚は…」とか、「能登の香りは…」なんだろうけど、今だ違和感がある。
『能登早春紀行』
森崎和江。昭和58年、花曜社刊。
『からゆきさん』で著名な作者の紀行文。
もったいないことに、目次から誤りが多い(能都市など)。
今の今まで『サンダカン八番娼館』の作者が森崎氏(敬語復活)だと思っていた。
サンダカンは山崎朋子さんだった。
明日は伝説、民話、観光関係の「能登」を書く。
『写真集 奥能登』
フォート集団能登。
昨日、このままでは、これ以上写真は載せられないとの警告が出た。
今日それを修整できたので、
昨日載せようと思った本の表紙を載せておく。
奥能登もサービスで、と記そうと思っていた新書版系の一冊。
昭和46(1971)年、北国出版社刊。
これは弟が購入した本だ。