能登にはすべてがありますよ。

能登の魅力を一言でいうと、どうなりますか。

数日前、新聞記者さんに聞かれた。


安易な質問だけれど、「色々あって一言では言えない」といったら逃げになる。


日本海に突き出た最大の半島は、三方が海…、
日本の原風景の全てがある。
能登を知らずして人生終えていいですか?


と言わなくちゃならないすばらしいところです。



その話を昨日のグループワークでしたら、ワークリーダーが
もう少し狭い範囲に置き換えて発表なさった。



本当に能登には色々あって、また広いと感じたのは、
母の実家が童謡「夜汽車」そのものの農村風景のただ中にあり、
私が育った町とは全く光景が違っていたーそれが一つの大きな理由、


もう一つ、広い原風景に出会った出来事がある。
中学二年生の夏だったと思う。
記憶では、山の中、キャンプ場、曽々木の海辺の朝しかないので、
能登の奥巡りサイクリングだったのだろう。


大学出たての若い社会科の先生に引率されて、
(のちにご本人に確かめると、教育実習中だったとのこと。どうして引率することになったのか分からないままに引率した…そうだ)
同級生何名かと自転車旅行に出かけた。
郷土史クラブが結成されてそこに混じったような記憶もあるのだが、それは後の自分がやってきたことと記憶がダブっているかもしれない。


今は、外浦にはラケット道路と呼ばれるくねくねした自動車道が通り、
一周出来るようになっているが、その頃は、獣道しかなかった。
頼りになるのは先生だけである。


その山道で迷ったのだ(人がほとんど通らないため、その道に間違いがなかったのかも知れない)。
笹が生い茂っていて自転車を押して進めなくなったのである。
笹の上になるように自転車を持ち上げないと、動けなくなったのだ。
当時の僕は(僕になってしまった)チビだった。
それにやせていた。
大人の自転車を持ち上げながら歩けるような体力はなく、
既に大きくなっていた同級生の助けを(おそらく)借りて、
木の浦から高屋へと抜け出た。


少し解説がいるだろう。
当時、庶民の自転車は二種類しかなかった。
普通の自転車と、荷台が大きく全体的にがっしりした商売用の自転車である。


子供は三角乗りで自転車を漕ぐことを覚えた。
ペダルに足が届かないため、自転車を斜めにしてサドルの下に右利きは右足、左利きは左足を差し入れ、人と自転車がV字型を保ちながら漕ぎ進む。
もう少し大きくなると、サドルに腰掛け普通の漕ぎ方を覚える。
まだ足がペダルに充分届かないため、上に来たペダルを蹴り、
次に反対側のペダルが上に来た時を見計らって蹴り漕ぐ、
という漕ぎ方ををマスターする。


最初は荷台を他の人に支えて貰っているのだが、
上達するとサドルに乗るために地面を蹴ってスピードをあげ、
ペダルから荷台を跨ぐという乗り方に進化する。


自転車に乗るまでの過程を振り返るとほとんど修行だ。
また、それによってバランス感覚も磨かれたのだろう。


その奥能登の奥サイクリングは、
ペダルが下に行ったときには足が届くか届かない頃に行われたのだった(ような気がする)。
だから、大きな自転車との格闘、が記憶に残った。


次の記憶は、夜。初めてキャンプに混じり、ファイヤーに近づいていく少年たちに飛ぶ。
その後は、数えることが出来ないくらいキャンプをしたが、最初のキャンプの記憶である。


曽々木か真浦の海岸で、キャンプファイアーのかがり火を見つけた。
先生に言われて、それぞれ一本ずつの小さな木(流木)を捜した。
それを、持って行ってキャンプの火に投げ入れた。そうすることによって、別グループが行っているファイヤーに加われるのだという。
田舎の中学生だ。
好奇心と恥ずかしさが入り交じった気持ちではにかみながら木を投げ入れ、キャンプに混じった。


キャンプをやっていた青年たちから色々質問された。
返答の言葉が全く通じなかった。
結局、その青年たちと先生の対話になった。
歌の往復があった。
校歌を歌ったのが精いっぱいだったような気がする。
青年たちは神戸大学の学生だと言った。
先生は法政大学を出た、と言っていた。
そこでエールがあったのだろうが、多くの青年のなかで、先生は一人で憶することもなく、よー頑張っとるなー、と思った。
  

その次の記憶が、能登の深さと広さを感じた原点になった出来事である。


キャンプファイアーを終え、テントで寝たはずである
(外でのごろ寝だったかも知れない)。
場所は、今、瑞山瑞麟和尚碑が建っているあたりになると思う。


朝出発する予定時刻が分からなくなった。
先生の時計が壊れていたのである。
そこで、先生は、太陽が上ったら出発しよう、
と提案なさった。
皆で、海を眺めて太陽が登るのを待った。
あたりは明るい。
なのにいつになっても太陽は登らない。
おなかが空いた、空いた、といいながら、太陽の登るのを待った。


お昼近くになっていたのではないだろうか…。
先生が気づいたのか、凛々しい生徒が(それはないなぁ)、
やはり先生が、「あっ」といって出発命令を出された。


僕たちが住んでいるところでは太陽は海から上る。
曽々木では太陽は後ろの山から登り、海に日が沈む。

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夕景の外浦(門前町腰細)


想像も出来ない世界だった。
太陽が山から登る…。
不思議な世界に、
時計が壊れていたから出会ったのである。


そのおもいがけない世界が、今、
なお姿を見せ続けている。


能登には、全てがありますよ…。