起舟、キシュウ・ゴキッシュウ・キッショ。田打ち正月。

11日はキシュウ。
回りが海ー港、湊に多くの舟が出入りし、漁業も当然盛んな能登では、キシュウに「起舟」を当て、休ませていた舟を起こし(という形を取る)、舟に旗を立て、船主・網元宅で宴を張る。
海の門出式が伝統的に行われている。

田打ち正月

全国的には、今日11日を「田打ち正月」などと呼んでいる。


能登の農村では、「ゴキッシュウ」と言った。
キシュウに「御」を付けたのである。
おそらくそれは、公のものである土地=田をお借りして農作業を行わせていただく心意からの呼び名であった。
その名残の中で、
藩の田だという意識が覆いかぶさってあったのが、藩政期の農業だった。


その農業の中心になって藩とつながった、
十村、肝煎りクラスが知行主の侍宅を訪れ、
一献交わし、
田植え歌を唱和し、
その年の豊作をあらかじめ祝った。
そういう日だったのである。


さらに神話では、神武天皇が即位したのも2月になってはいるが、元々年始めの11日だったのであろう。


いわば、11日は何もかもが一斉に動き出す、
はじまり、はじまりーの日なのだ。
参照→起舟、田打ち正月

共同体の作業固め 

そして、この日の重要な要素は、いくつか挙げた例でも想像がつくように、共同体、仲間の確認をすることだったのだ。
今年もこのメンバーで行きますよ。
あるいは、知行主が亡くなり、新たな主人はかつての若様が名を継ぎましたのでよろしく…
といった作業確認をしたのだ。


田植え歌と書いたが、それは全国的にそうだったわけで、
加賀藩時代の「起舟」を色濃く残している漁村、港町では、海の歌が披露された。

まだら

正装・正座の男性ばかりが、産み字(母音)を出来る限りのばし、櫓を漕ぐ節回しの3拍子で歌った(歌う)歌、それを「まだら」という。
七尾まだら、
輪島・輪島崎まだら、
中居まだら、
宇出津まだら、
早船狂言(蛸島)、など勇壮な海の歌は、元々、幕府・藩の「お座舟歌」だったのだが、母体が滅びたため、その辺りがわからなくなり、儀礼の歌として伝わってきた。
その歌がまず披露される日がキシュウなのだ。

まだら由来ー松浦五郎氏説ー

この「まだら」語源について、色々な説がある中で、晴れの歌に相応しい語源を突き止められたのが七尾市の松浦五郎さんだった。

松浦さんは、温厚にして、極めて実証的に物事をみきわめ、
奇をてらうことが全くない、誰もが納得できる見解を披瀝された。
まだらについても、
松浦さんは『七尾市ものしりガイド観光百問百答』に他の3説の採りにくいことお書きになり、
その上で次のように書いておられる。
民俗学者柳田国男先生によれば、『まだら』は所々の漁村において晴着を意味するという。
八丈島青ヶ島では、普段着に対して晴着をマダラという。
また、万葉集七ノ二九に
今つくるまだら衣は面づきて
吾に思ほゆ 
いまだ着ねども
という『まだら』の着物の歌があり、
派手な着物、晴れやかな着物を『まだら』といったことが考えられる。
そうした着物を着る場所こそ祝儀の場であり、『まだら』の意味も、この辺に求められる。」


こんなに、すっきりした説明はないだろう。
晴れの歌と晴れの象徴の着物。


畠山文化に育てられた文化都市・七尾に伝わった晴れの歌につけた呼び名として、さすが…とうなるしかないのが、この「まだら」の語源説だ。
よく気づかれたものと思う。

禁足を解く門出式

気多神社の門出式が今日。
14カ所の境内社を無言で回り、
それからは禁足が解かれ、
宮司は外へ出てもいいことになる。


海と宮司の仕事始め。
そして、季節感が合わないため、
2月11日になっているが、「あえのこと」(アエノコト)を行った後、
実際に田に出て、儀礼的に鍬打ちをするのが11日。
国民の休日の背景は
思う以上に深い。