「もの申す」年頭 「お寺」年頭
今日1月4日は、「ものもーす、どなたー」が、飛び交う日だった。
珠洲市飯田町では、
4日が「お寺年頭」
5日「神主年頭」
6日「消防年頭」に決まっており、
朝から4組の寺方〈てらかた〉が町を回った。
飯田は町だから今日から3日間続く年頭期間となるが、
農村部でも4日が寺方年頭だった。
「もの申ーす」
「どなたー」
「○○寺ネントウー(年頭)」
その声掛けがあって
寺方、受ける側が揃って
「昨年中は色々とお世話になりました。本年も宜しくお願いいたします」
と、挨拶を交わす。
その間に、先触れの人が、隣の家で「もの申ーす」と声を張り上げていたというのである。
ある時期まで、箸一袋、地域によっては餅など(全国的にはしゃもじ=ハンガイが報告されている)を土産として置いていったらしい。
正月は改まった物言いをする。
「新年明けましておめでとうございます」前後のやりとりは、形が決まっているから言えるのだ。
普段なら、こうなる(極めて丁寧な場合)
「おらしんすけー」
「どちらさんやけー」
「おらぁわけの」
それが、「物申ーす」「どなたー」だから、
まるで侍とお内儀さんのやりとり。
その風情が、この日は、町に漂ったのだ。
年頭回りの現在
この年頭回りは、車社会が到来して、年頭に歩く人々にとっても車にとっても、危険を覚悟しなければならない状態となり、
まず神主さんが止め、
続いて寺方でも、無理なんじゃないだろうかの声が出はじめて、止めざるを得なくなった。
あるお寺さんから、もう無理ではないか…との相談を受けた。
うちがやめれば、他もやめやすいというのだ。
広くなった通りを、信号を無視して行き来することは危ない。
平成7年を最後に、この行事を終えることにした。
民俗をやっていて、当事者が民俗行事をやめるのは、忸怩たる思いがあったが、
安全でなければ、民俗もへちまもない。
平成2年まで、私と父は、別の方と組んで、町の半分を別々に回った。
その頃は、「もの申す」ではなく、
「サイショウジネントー」、と声をかけた。
ご門徒宅と、年賀においでた家々を回るのである。
受ける側も羽織程度は羽織って挨拶を受けた。
だから、七日正月を迎えるまでは、羽織をしまえなかったのである。
別の見方をすれば、ささやかではあるが、和服文化の継続にも貢献してきた行事だった。
(6日の消防は、古い時代は別の年頭があったのかも知れない)。
このことについて詳しいのは、珠洲市熊谷(くまんたん)町のご住職で、
「モロモロ年頭」と言ったものだということを随分前に教えていただいた。
モロモロは「もの申す」が訛ったのであろう。
そして熊谷、野々江地区では、今も4日の年頭回りが行われている。
この年頭をし合う家とお寺では、
葬儀の際には村諷経(ふぎん)として参列し、年中行事の折りにはお仏供米(ぶくまい)を供えるなど、経済的協力をすることになっている。