太子講(聖徳太子)ー門前町道下(とうげ)地区、珠洲市馬緤(まつなぎ)町


三が日の間に、全国的には盛大な行事も見られるが
能登で見られる行事で多いのは太子講である。
建築関係の仕事に携わっている方々が集まり、聖徳太子像を飾ってお参りをし、
鏡餅のお下がりを頂き、
懇親会ーお斎ーで親睦を深める。

道下太子講

二カ所の例を紹介する。
f:id:umiyamabusi:20060103233601j:image
f:id:umiyamabusi:20060103233629j:image
2004(平成16)年1月3日。
門前町道下〈とうげ〉鳴桜山宝泉寺(真言宗)での太子講の様子。
「16才孝養図」といわれる聖徳太子画像を安置して営む。


ここには天文七年(1538)に記された「日本番匠始」の写し(江戸期)があり、太子講の初期の様子が推察できる。
この縁起は膨大な量なので、現在は略由緒が読み上げられる。


仏教を導入した聖徳太子は、
法隆寺四天王寺、橘寺など壮大な仏教伽藍を次々に建立した。
現代の職人衆技術の原点はその時にあることから、太子が尊崇されてきた。


1月4日から仕事が出来るよう、太子の前でその年の賃金を決め、お礼を遂げ、工程を確認するのが太子講の目的だった。
「番匠始」には、釈尊が天竺(インド)の祇園精舎を作られた時が、
番匠の始めだと記している。

太子講ー珠洲市馬緤〈まつなぎ〉町f:id:umiyamabusi:20060103234250j:image

2000(平成12)年1月2日。
珠洲市馬緤〈まつなぎ〉町での太子講が始まる直前の様子。
三々五々集まってきた講員が、まずお内仏・聖徳太子に手を合わせている様子である。


道下では毎年宝泉寺で行うのに対し、
ここでは、講員の家を一年ごとに順番に巡る。
左は真宗のお内仏。
床の間に講が持っている太子画像(孝養図)を安置する。
このような形で行う集落が圧倒的に多い。
お内仏でお経。
太子画像の前で正信偈(しょうしんげ)と
親鸞聖人作「皇太子聖徳奉讃和讃」をあげ、
その後、法話となる段取りが多いようだ。
会所となった家の師匠寺住職が執行する。


聖徳太子の御命日は2月22日で、その日に太子講を営むのは寺院であることが多く、
正月の太子講は家々で行われることが多い。