Oh-ドビンス
31日に賀状が一通届いた。
宛名書きの最初にJeff Dobbins。Toronto,ON,Canada(カナダ国トロント)から出したもので、漢字で私の住所と名が書いてある。
Oh!ドビンスか…!。
日本に研修その他でやってきた外国の人が現地に帰り、
賀状を送ってきたのは二人目だ。
中国研修生
一人目は、かつて中国から当地の縫製会社に研修に来ていたグループのリーダーだった女性。
彼女らは選抜され、当地にやってきて、縫製の先端技術を2年間学んで国に帰った。
国家間交流であるため、研修生に対しては相当しっかりした日本文化や日本語取得のカリキュラムが組まれていた。
その一部を担当した。
通訳は大手商社に勤める若い中国人だった。
文化財探訪をしたり、彼女らのパーティに加わったり、お歳暮時期には皆で作ったという餃子を届けてくれたりした。
帰国後、そのメンバーのリーダーから賀状が届いたのだった。
その人の顔・姿は、もう全く思い出せない。
そのような交流があったという記憶と、賀状が届いた、そしておそらく返事を書いた(ような気がする)思い出となっている。
中国に来てください…。
奈良の友達に毎年賀状に書いている
秋の奈良に正倉院展を見にいくよ…さえ、
10年以上かなえられていない。
ドビンスとの関わりは、手帳を見ると、
1998年の9月23日から彼の名が登場し、
1999年4月6日に送別会を行っているから、半年の付き合いだった。
2カ年ほども日本語を習いに通ってきたような気がするし、
別れてからも随分経ったような気がするが、まだ6年なのか…。
彼は国際交流員として当地に来ていた。
中学校などを回って英語を教えたり文化交流を行っていた。
交流員は大体、2年間で交代するようで、着任してしばらくしてから、
日本語をもう少し勉強したい、と希望したらしい。
それで、当時の教育長さんから、
家庭教師をしてもらえないかと頼まれたのだ。
家庭教師だから当然教師料を、という話だったのだが
本人が給料から払うというし(当然か)、
その給料も低そうだったので、教師料は頂かなかった。
それどころか、お菓子、コーヒー付きの特待学生だった。
週に一度、約90分教えた。
熱心で、時間に遅れることなくやってきた。
ドビンスは大きく、身長が197センチあった。
これは、TVで放映されるバレーボール番組を見ていて、
選手の大きさがたちどころに判断できて、よかった。
彼の故郷が、アンネ・フランクの故郷のすぐ近くだという話も聞いた。
能登を去ってから、日本のどこかで交流員に近い仕事をしているのだと思っていた。
それが、突然の賀状。
私の英語力を知っているので、簡単な単語が並んでいる。でも分からない語があった。
protection=調べると保護、守る。プロテクターと同じか。
こう書いてあった。
「いろいろありがとうございます。
(ここから英語)私は今トロントに住み、
「こども保護(施設か、課)」で働いています。
あなたの親切の全て、
本当に有り難う。敬具」
私にとって、外国旅行はまずありえない。
それでトロントがどういうところか調べはしない。
今、ドビンスが居るところ、なのだ。
せめて、返事を…出そう。
一通の便りが、霧に包まれたような日々の中からの思い出をよみがえらせた。
※カードの表紙「Season`s Greetings」の意味を調べたら、クリスマスカードだった。