シンラン大師は久江の谷内ー霜月大師ー中能登町

今晩から明日にかけては「大師講」。
「霜月大師」ともいう。


23日の夜、ダイシ(地域によって、元三大師良源・角大師、弘法大師、多くの子連れの女神などの伝承がある)がムラムラを回り、
新たな復活を約束していくと考えられている。


このダイシの足は、スリコギのような一本足だというのが多くの伝承で、
その足跡を隠してあげようと、この晩には雪が降るといわれる。


白は生まれ変わり=再生を意味するもので、
この伝承には、作物を豊かに実らせ終わった大地が、
再び生産を始めることを期待する心意が流れている。
また、ダイシは小豆が好きだとされ、小豆がゆや小豆団子を供えるというところが多い。


本来は、旧暦の霜月23日であるから、自然暦では冬至の直後にあたる。
季節実感とは隔たるが、11月(霜月)23日の今日、能登に伝わる「大師講」を覗いてみる。

鹿島町史』

通史・民俗編の年中行事(1985年刊、執筆・西山郷史、p1114)の「大師講」を引用する。

「原山、蟻ガ原(昭和39年廃村ーうみやまブシ注)では、ダイシコの伝えが残っている。

原山では、ダイスクと呼ぶ小豆を入れた団子を作る日で、『ダイスクを食べさせないと蠅が行かない(去らない)』といい、蟻ヶ原でも『小豆粥(がゆ)を食わにゃハエボ(蠅)が行かん』とか『ダイスコ荒れ』の言葉があった。


西(地名)でも、ダイスコという言葉が記憶に残っている。
これは、いわゆる霜月大師の伝承であり、家々を巡って歩き、残しておきたくない大師の足跡を、降った雪が隠してくれるという話が『ダイスコ荒れ』の伝承として残っているのである。
また、蠅がこの日を境にして消えるという話は、『蠅の出替り』と呼ばれる伝承で、能登島町向田〈こうだ〉などで行われていた奉公人入れ替えの日であるデカワリと関係があるものである。


なお、久江のクデ比古神社に合祀されている櫛神社の例祭がこの日に当たる。
櫛神社は、もと元三大師・大師社とも呼ばれ、もとの鎮座地をダイスコ・ダイス畠といい、ここにも霜月大師の伝承が残されている。」


この櫛神社に関しては、『石川県鳳至郡誌』に「土人久延毘古〈くえびこ〉神を大須古〈だいすこ〉様ととなへ、陰暦11月23日祭祀を行ふ。此の日必ず雪降るといひ、世に之を大須古の隠跡といふ。」と記しており、ダイスコ=大師と、クエビコ=カガシ=田の神の関係が知られる。


久江を含む鹿島郡では、11月23日を中心に「大根祭り」も行われる。
この日、大根が急に大きくなるといい、大根を踏み台にして田の神が畠から家に上がられるのだ、というところもある。
鹿島の「大根祭」については、『日本年中行事辞典』(角川書店鈴木棠三著、p643)に載る。


面白いのは、久江では、大師を親鸞大師と記憶していたのである。
能登志徴』にクデ比古神社のある谷内を、久江谷内といい、そこに「信鸞(と書いてある)大師堂といふあり。俚諺に、信らん大師は久江のやち、生まれ在所はのとのやちと唱へり。…毎年11月23日大師講とて、彼堂へ小豆粥を持ち行き備ふとぞ、…」と記す。


シンランは、言うまでもなく親鸞聖人のことで、霜月大師が、親鸞大師である地域はそうないであろう。


さすがに真宗王国だ、と思わせる伝承である。


なお、親鸞聖人の大師号は「見真大師」で明治9年に頂いている。
能登志徴』記載の頃には、大師号はなかった。


今宵は、穏やかだ。


※写真:垂水の滝と波の花(珠洲市真浦町)