2005年度・珠洲焼資料館企画展

10月22日に始まった珠洲焼資料館の企画展が11月21日、
すなわち昨日を持って終了。
ギリギリになって、ようやく見てきた。


早めに出かけ、何度も何度も見学して、目に焼き付ければいいのだけれど、今までの経験では、焼き付かない。
それで、近年は、「見た」という思い出作りに切り替え、
終わり頃になってからトコトコ出かけている。


珠洲焼は、流通圏からいえば、中世二大古陶といってもいい、
重要な古陶である。
ところが、戦国期に滅びたため、「古い須恵器に似た焼き物」は、
日本海沿岸の各地で発見されていたにも関わらず、
名前がないままだった。


その中世古陶に、生産地の珠洲を採って「珠洲焼」の名が付けられたのが昭和36年
再興珠洲焼の窯に火が点ったのが昭和53年。
珠洲焼資料館開館が平成元年のことだった。


いかに栄えていた窯であっても、
珠洲焼と名づけられてからでさえもそう経ってはおらず、
まだ、それほど広くは知られてはいない。


その中世珠洲焼を一堂に集めて展示している珠洲焼資料館では、
個性的で、味わいのある展覧会が毎年開かれている。


今年は、山形、新潟から出土した珠洲系陶器30点近くが集められていた。 


壺、経筒、鉢などのグループ、
時代別に珠洲焼と一緒に東北の中世須恵器が並べられているのを見ると、
珠洲なのかそうではないのか、
全く分からない。


解説に「似て非なるスリ鉢」と書いてある。
珠洲、山形、新潟、一見同じにみえる三地域のスリ鉢だが、よく見ると興味深い違いがあることに気づく。
珠洲はゆるやかに開く器形に、+×をかけあわせるように卸し目を引く。


山形のものは、器形は珠洲に似るが、卸し目を中心から放射状に引き、


新潟のものは、広めの底から湾曲して立ち上がる器形に、山形と同形の卸し目を引く。


器形は瓷器〈しき〉の鉢に似ているが、
この時期の瓷器系は卸し目を引かない。」


同じように見えるが、実は細かい点で違いがある、というのだ。
折しも、学芸員の大安尚寿氏が展示室に顔をお出しになったので、
甘えて展示品解説の折の資料を頂いた。
違いが図になっていて、それでよく分かった。


珠洲は上部から櫛を引きだし底~反対側の上部へと一気にダイナミックに櫛目が引かれているのに対し、
東北系は中心から上へと、綺麗な放射状の模様となっているというのである。


ここまでの違いを明らかにするには、よほどの繊細な観察力と集中力がいるだろうな、と驚いてしまった。


思い出にしてしまうには勿体ない。



《今日の新聞記事》
○川柳 古希の語が風化していく新世紀
     秋祭り過疎の神輿も車椅子 
         珠洲市宝立〈ほうりゅう〉町鵜飼  浅田秀三[北國]