旅立つ書物

 

この間、まず、ダンボール10箱、さらに10箱、古書店に送った。

[経過]

歴史・民俗・文学、戦前の書籍を処分するに際し、色々考えたが、珠洲の図書館には、いつか郷土資料(北能登エリア)を寄贈することにし、多くの専門書は、私が本を借りるならば県立なので、そこに所蔵していなかったり(検索した結果の、正続群書類従、正続日本歌謡集成、大系日本歴史と芸能など)、その他全集等で、欠本が生じ、私の持っている全集で補えるものがあれば寄贈しようと考えた。

忙しい司書さんの手を煩わせないため、考え抜いてこういう結論に達したのだ。

それで、8月16日お盆もすぎに、唯一知り合いの司書さんに電話したのだが席を空けておられ、折り返し電話しますといったきりかかってこない。

それで、書籍類を写真に撮り、「歴史・民俗」「全集・雑誌・図録・紀要・その他」「戦前・戦中・戦後」のフォルダーに分類し、USBで送った。

これらの本に必要が無いようなら、検索にない「大系日本歴史と芸能」第五巻(「節談説教の風土」を執筆)及び、献本した国立民俗博物館研究報告九「死・葬送・葬制資料集成 東日本」と、セットの研究報告十も送りましょうか?、送付したUSBはご自由にお使い下さい、と添え書きをつけて送ったのが24日。

電話の返事が無かったのに続いて、郵送の反応も無し。

 

 

県立の施設なのに、一般県民を無視しているとしか思えない。

 

日一日と、本を持てる量が減っていく身としては、相手にしてくれないところは無視し、古書店経由か廃棄で進めることにして、動き出したということである。

 

[古文書・和書]

書物は、国会図書館まで視野に入れると読もうと思えば読めるが、古文書、筆写本の類いは一点ずつしかないので、これはなんとしてもどこかに残さなければならない。

当寺に伝わってきたもの、御門徒さん宅から寄贈された書写本や巡拝記録などは、西勝寺法宝物として残すことが出来るが、

問題は、預けていかれたり、研究用に手に入れた文書である。

それらをどうするか、取りあえず写真に撮りながら考えることにした。

 

某道場設立、あるいは道場主を継がんとして学んだ僧志望者の典籍籍

タイトルのような昔話がある書籍を預かっていた。

まず、これから何とかしようと、手を付けだした。

預かった時(2021年2月)の状態である。 

翌日のブログでこう書いた。

 

20210年2月25日(木)宝立公民館で講演した。

講義の始まる少し前に、待機していた事務室に、一人の女性がおいでになり、二冊の和本をお見せになった。

一人暮らしの友だちのところにほこりだらけの汚いのが100冊ほどもあって、西山先生に見てもらおうと、埃を落として持参したと、おっしゃる。

見ると、四帖疏玄義分を解説した一冊、もう一冊は廣本~とある。

それで、善導大師のお書きなった観経解釈本の説明、親鸞聖人のお書きになった御本の説明本ですね。

筆写された本なので、大切にしておいてくださいと伝えて下さい。

ところが、「汚いし何が書いてあるかも分からないし、跡継ぎもいないし、

今日ゴミ捨ての日なので捨てる、とゴミ場に行くところだったので、ともかく見てもらおうと持ってきた。

その人は、家に置いておくつもりはないのです。」

とおっしゃるので、(焼却しないで)残しておかなければならないですよ、と言ってはみたものの、

残すにはどうしたらいいかが出てこない。

講義の時間は近づく。

結局、私が預かるしかなくなり、

講義を終えてから、持ってきた方(知り合いの奥さんだった)、館長と共に持ち主のお宅に行き、預かってきた。

それが、この冊子類である。

79冊ある。

どうしよう……

 

見本に持ってこられたのは、先の文にも書いたように(虫食いの少ない二冊を)綺麗にしたものだったので、あとで、虫干ししようとしたら、本箱と本がひっついていて剥がれないものもあり、虫食いがすごい状態になっていた。

 

それでも、どうかしなければならない。

寺院(道場)を建てようとしていた人物が、どのような典籍で学ぼうとしたのかを知る貴重な史資料になるはずなので、

大谷大あるいは龍谷大関係者に話を進めようと思い、とりあえず、写真を撮って、分類することにした。

暑い。虫食いの粉が出てくる。マスクをして並び替える。

 

こればかりやっておれないので、30冊ほど虫干しするため、「流し」に広げ、どういう経過でその家にあったのかを確かめるべく、関係者に電話しようと思うのだが、預かった人の名さえ思い出せない。

 

紙を剥がしている途中に「はがき」が挟まっていたので、宛名とゆかりのある家に電話した。

そこで、

はがきの人物、書写した方が特定できたのである。

 

はがきの宛名の方は、現在90歳近い住職さんの祖父だという。

典籍のほとんどを筆写している人物は、その人の父で当時富山県のお寺のご住職。祖父ぎみはそこから養子としてはいったのだという。

 

筆写は年月日はもちろん、講義のあった場所、講師名など経典と同様にキシッと書いておられる。それで、藩政期のものであるのにすぐに特定できたのだ。

 

そのお子さんは、高校時代教えた子で、うわさでは某派の本山で中核を担っているそうで、保管の心配もない。

 

しっかり活かされるていくだろう。

パラッと整理したところでは、数点読んでみたい書籍があるが、次に進まねば…。

これなどは珍しい。