討ち取られた猿鬼は懇ろな弔いの結果、光となって西の空へ飛び去った。何本かの猿鬼由来記(説教本)があるが、中の一本には「すがれ弥陀の本願」などとあり、真宗唱導に用いられたことは明らかである。
その猿鬼が埋められた場所と伝わる、大箱の鬼塚を訪ねた(12月23日)。
弘化二年(1845)狖鬼岩屋傳記之写
大箱村・当目・黒川村名の由来
ヒトツ
一 大箱村より申ハ猿鬼筒之矢、目をい(射)ら
れハ時俗ニ云ヲハコ草(車前草・車前草)ヲ取集煎洗
鬼神草をその妙成シ故是大箱ト
当村ハ申右草ヲ摘し所故なり
一 猿鬼筒矢ニ目をいぬかれし故、当目と申なり
右鬼神討シ時川ヘ入血を洗しが不思議也
黒血流れ黒川迄(まで)流し故黒川村申傅へるなり