今年も広間に金屏風を立て、一般に蓬莱飾りとか喰い積み、あるいは福徳米と呼ばれてきたものを飾った。
新年の挨拶を交わし、三方に盛った五穀を頂きながら、御酒を頂く時に用いたものらしい。
加能民俗の会員だったころ、常民の行事の元になっているものが寺院に残っていることが多いことに気づかされた一つが、この正月飾りだった。
それを昭和61(1976)年3月刊行の『加能民俗研究14号』に「真宗地帯における正月行事ー珠洲・能登島・鹿島町を中心にー」と題して発表した。
珠洲市史では仏教伝承などを書いたが、年中行事は今村さんが担当した。能登島・鹿島町史は年中行事を担当し、その両町がほとんど真宗門徒さん地帯だったので、民俗として扱ったもののすべてが真宗地帯の民俗ということになったのである。
そこで市史で担当しなかった地元・珠洲市の正月行事はどうなっているのか注目してみると、能登島・鹿島には存在しなかった正月飾りがあることを知り、驚いて知り合いの寺院、旧家をたずねて見たところ、数カ所で同型の飾りがあることに気づき、まとめたのだった。
その時の文は、のち『蓮如と真宗行事』(木耳社・オリエントブック、1990年刊、のち1998年に『蓮如と真宗行事能登の宗教民俗』と題名を変え再刊)に、「Ⅱ 真宗行事 一 正月行事と御影巡回 1 真宗地帯における正月」と題して載せた。
いずれにしろ、発表からもう46年~24年も経っているので、元の文を以下に記す。