尾添の白山下山仏について、会ったことは無い知り合い(かつて電話で話しあった)から電話があった。林源常さんが亡くなられてから尾添を通り過ぎることがあっても、下山仏社を訪ねることはなかった。
そして、源常さん達が中心になって営まれていた蓮如忌には、下山仏社を開扉しお参りをなさっていた、その行事が続いているだろうかとおもうことはあったが、当寺でも同日に蓮如忌を営んでいる。
遠い思い出になっていた下山仏が、主として管理面から話題になっていたことは、知っていたし、電話があって、行方を気にしている人がいるのだ、と思っていた矢先ー
今朝の新聞に記事が載っていた。
北國新聞2021年(令和3年)12月21日朝刊
白山曼荼羅・尾添白山下山仏ー林源常師
かつて林さんについて書いたことがある。2009年6月18日、12年前のことで、その時の題名は
林源常師ー白山曼荼羅
次の文である。
林源常さんから、DVDをいただいた。
林さんは、白山お仏供水を発見され、加賀禅定道の復興、庶民・女人の結解であった檜新宮からの下山仏を守ってこられ、
何よりも林道場の主として、夏安居に十数年続けて参加されるなど、聴聞の見本、現代の妙好人の歩みを歩んでおられる方である。
丁寧なお手紙を添えてお送り頂いた。
こちらも心を籠めてお礼状をと思ったのだが、書けない。
結局、電話でお礼を申し述べた。
去年の今日、当地に来て頂いている。
また元気なお声に会えて、よかった。
次の写真は、2005年(平成17年)9月10日。尾添白山下山社で、諸仏の説明をなさる林さん。
→なんと、昨年の今日(6月18日)だったのだ。真宗講座
→PDF『北國文華』2004年夏号「ほくりく古仏巡礼・第2回・浄土信仰を伝える白山下山仏 尾添と白峰の阿弥陀如来(下書き原稿)」
このブログ記事によって、尾添の阿弥陀様を雑誌の記事にしていたことを知った。
「知った」というのはおかしいが、書いた記憶が全くなかったのだ。
また、下山社の安置の仕方から、背後のお姿は見ることが出来なかったと思っており、今日の新聞記事で、全体を拝見できるなら見に行ってもいいかなぁと思えたのだが、古仏巡礼記事の写真には全体像が載っている。
カメラマンさんだけ行って撮ることはなかったので、私もしっかり全体像を拝観し見ているはずだ。
ともあれ、その時の作品。
ちなみに、この「ほくりく古仏巡礼」は五回で終わった。北國文華は季刊誌なので2004年春号から2005年春号の掲載で、
第1回は「能登山岳霊場の隆盛を伝える 珠洲市翠雲寺の木像延命地蔵」
第2回上掲の「浄土信仰を伝える白山下山仏 尾添と白峰の阿弥陀如来」
第5回「利長が拝んだ慈悲の眼差し 石動山の十一面観音菩薩」
だった。
いかにも中途半端なのは、この雑誌の元々の出発が、小説中心の雑誌であり、元の姿に近づけるため、新連載を交渉していた作家が、急にというかすぐに引き受けたので、この連載ともう一本の「郷土の思想家」を連載していた、いわば非小説の連載を急にとりやめ、その分を小説スペースにしたのだった。
それから17年、「郷土の思想家」執筆者は現在大活躍しておいでる方になっており、新小説連載をなさった作家は、作家修業中の頃を、民俗仲間から名を聞くことがあった○○さんだった。
名が出てこないが売れっ子作家になっておいでたはずで、妙に納得したことを覚えている。
※○○は、立松和平(1947~2010)氏だった。