「釈迦涅槃図八相成道図」、平松令三氏

頻繁に地震が起こるので、本箱をある程度ーふすまや障子につかえて、いつまでもガタガタ音が鳴らない程度にー固定作業を続けている。

その過程で、アルバムの中に「八相成道絵図(千光寺蔵) 平松令三氏調査」とある一冊があることに気づいた。

平松令三氏?

氏は、蓮如上人500回御遠忌に向けての調査で、当寺の蓮如上人鏡の御影(御寿像)を調べに来られたことがある。

その時、あたかも目の前の上人にお会いしたかのように感激の念仏を称えておいでた師の姿があった。

氏との間で何通かの手紙・葉書のやりとりが残っているが、その時の印象以外は、記憶にとどまらずに通り過ぎていたのである。

千光寺さんで、絵を見たことも覚えているが、「氏調査」とは?

写真の中に、当時の千光寺住職は写っているものの平松先生らしき人、北國新聞記者さんの姿もない。

アルバムの最後に新聞記事が貼ってあった。

平成9年(1997年)12月22日号である。

○平松令三先生が調査しておいでる。

○藤本佐助という絵師は高田派の親鸞聖人御絵伝の絵師、総持寺の出仕絵師と推定されること。

○涅槃図と八相図が共に一幅に描かれているのは珍しい。

○一代限りの絵師だと思われていた佐助が世襲の名だった可能性が出てきたこと。

など、極めて重要な図であることが書かれている。

 

千光寺住職はこの時から2代目で、曹洞宗の方脈を継ぐ方が順に入っておられ、この絵の意味を知っておられるかどうか分からない。

私も、珠洲焼資料館を退職する時、文化財保護審議委員も同時に辞め、その後、珠洲市郷土史研究会会員も辞している。

それらを続けて居ればこの絵を見直し、少なくとも市指定に持っていたと思う。

 

地震と閉じこもり状態があって、思いがけない再発見があった。

 

ブログ以前(~2005年・平成17年)には、このように記録として整理されていないものが、多くありそうだ。

 

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涅槃図の回りに八相成道図が描かれている。

観経曼荼羅のように六道が描かれているとばかり思っていた。

どこにも地獄らしい絵がないので変だなと思い、よくよく見ると「八相成道図」だそうで、見たことも気づいたこともなかった(この時、見ているので見たこともなかったはことばのあや)。

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八相成道図

最後の場面が浄土(極楽)なので、はじめは地獄だろうと写真を見ると違っている。そこで八相図だということに気づいた。

八相図とは、釈尊生涯における重要な出来事ー下天托胎、誕生、修学、出家、苦行、降魔成道初転法輪、涅槃ー八場面を描いたもので、佐助の描いた場面・場面の分析などはこれからのこととなる。

 

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平成9年1997年12月22日(月)  北國新聞

 珠洲市正院町小路、曹洞宗千光寺が所蔵する藤本佐助作の釈迦涅槃図が、佐助の作品の中では最古のものであることが二十一日までの専門家の調査で明らかになった。涅槃図を収納する木箱に、正徳元(一七一一)年に同寺が図を購入したことが記されていた。
 絵師である佐助は十八世紀末から多くの作品を残したとされており、関係者は十八世紀初めの作品とみられるこの涅槃図は、佐助が世襲制だったことも推測できる貴重な資料としている。
 藤本佐助は、十八世紀末から十九世紀初頭にかけて浄土真宗高田派の絵所で親鸞聖人絵伝などの作品を残した絵師。
 大本山総持寺の出仕絵師と推定されており、作品は三重県内の高田派寺院に現存している。
 ただ、これまで佐助作の涅槃図が見つかっていなかったことから、真宗絵画史の権威である元龍谷大文学部教授の平松令三氏(七八)=津市在住=が、宗教民俗学に詳しい珠洲市珠洲焼資料館の西山郷史館長(五〇)を通じて千光寺の釈迦涅槃図の調査に乗り出していた。
 千光寺の涅槃図は縦三・六㍍、横二.七㍍で左下の部分に「藤本佐助筆」と書かれている。涅槃図を収納する木箱には、正徳元年に同寺第三世住職の慈秀性善師が図を購入したことが記されており、佐助のほかの作品と年代が異なることから、平松氏は「藤本佐助は一代と考えられていたが、襲名の可能性が大きい」としている。

[(小見出し八相成道図も確認]
 同時に涅槃図の周りに釈迦の生涯を記した八相成道図が描かれていることも確認された。平松氏によると涅槃図は単独で描かれることが一般的で、同氏は「今後、調査を進める上で興味深い」と話している。